Entertainment

伝説的ミュージシャンの衝撃死から40年。盟友「いまだ受け入れられない」

 1960年~1970年代にかけて旋風を巻き起こし、いまもなお世界中に愛され続けているイギリスのロックバンド『ザ・ビートルズ』。その伝説のバンドでリードボーカルを務め、数々の名曲を世に送り出したジョン・レノンは、1980年12月8日に銃弾に倒れた。その悲劇的な事件から40年が経過したが、バンドのメンバーで盟友だったポール・マッカートニー(78)は、未だにジョンの死を受け入れられず、現実から目をそらしているという。

“歴史上最も偉大な100組のアーティスト”に選ばれたザ・ビートルズ

ポール・マッカートニー

ポール・マッカートニー

 間もなくニューアルバム『マッカートニーⅢ』の発売が予定されているポールは先日、アメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』に登場。新型コロナウィルスのパンデミック下でのアルバム製作や自身の音楽活動、かつて所属していたビートルズや、同バンドのリーダーで不仲説も浮上していたジョンへの思いを語った。  ジョンとポール、そしてジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人で結成されたビートルズは、1962年10月に「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビュー。本国イギリスはもちろん、アメリカや日本を含めた世界各国で爆発的な人気を博した。 『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』『愛こそはすべて』『レット・イット・ビー』など、数えきれないほどの名曲を生み出したビートルズは、音楽誌『ローリング・ストーン』による「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1位に選出。ギネス・ワールド・レコーズでも最も成功したグループアーティストと認定されている。
ザ・ビートルズ最後のオリジナル・アルバム『Let It Be』

ザ・ビートルズ最後のオリジナル・アルバム『Let It Be』
(※画像: UNIVERSAL MUSICのオンラインショップより)

 そのビートルズでベースとボーカルを担当していたポールは、自分自身のことを、音楽業界のトップへ上りつめた「(英北西部の都市)リバプール出身の貧しい労働者階級の子供」と発言。そして急速にスターに上りつめた事で「複雑な人間になっていった」とし、次のように語っている。 「大きな成功を手に入れたら、周囲は僕が望む事をしてくれるようになる。そうすると自分が全能だと勘違いをするようになった」 「その全てが複雑な人間を作るんだ。誰もが複雑だけど、多分、僕は元々貧しかったから、他の人よりもっと複雑だよ」  しかし、メンバーの間で徐々に衝突が多くなっていたというビートルズは、活動後期になるとそれぞれがソロ活動に注力。そして1970年、ポールが英大衆紙『デイリー・ミラー』で脱退宣言したことで、解散が公になった

ジョンの事件は、今でも「考えられないまま」

 解散後、それぞれソロとして活躍していた元メンバーたち。そうしたなか、ジョンは1980年12月8日、ニューヨークの自宅アパート前で、ファンを自称するマーク・デービッド・チャップマンに銃撃され、死亡した。全世界に衝撃を与えたこの事件から40年が経過したが、ポールは今でも、この悲劇的な出来事を考えることができないと打ち明けている。 「それについては、考えられないままだ。内側で破裂してしまうんだ。怒りと悲しみ以外、何を考えられると思う?」 「他のどんな死別とも同じで、唯一の逃げ道は、ジョンと一緒にいられて素晴らしかったと思い出す事だよ」 「この無分別な行為を乗り越えることなんてできないからね。考えられないんだ。一種の否定だと思う。でも否定することが、この現実と向き合える唯一の方法なんだ」  ポールは、今でもジョンの遺体が運び込まれた葬儀屋の前を歩いて通ることがあるという。 「前を通る時、必ず『ジョン、元気?』『ハーイ、ジョン』って言うんだ」  元ビートルズのなかでも、特に確執が取り沙汰されていたポールとジョン。音楽活動の方向性などをめぐり激しく対立し、楽曲の中で互いに中傷し合うこともあったという2人だが、解散後、1970年代には再び交流するようになったという。  ジョンの生誕80周年となる今年、ラジオ番組の特集に出演したポールは、他界する前に2人が仲直りをしていたことを明言。もし和解していなかったら、すごく後悔していただろうと語り、亡き盟友への思いを吐露した。 「いろいろあったけど、和解していなかったら、本当に心が痛かったと思う。元に戻れて本当に良かった。このことが、僕に力を与えてくれたんだ」 <文/BANG SHOWBIZ、女子SPA!編集部>
Cxense Recommend widget


あなたにおすすめ