その後、石岡さんと咲さんは、1年近くに及ぶ離婚の話し合いに入るが、その詳細は書かないでほしいという。石岡さんの現在の状況についても明かすことはできない。
取材もそろそろ終わりという頃、石岡さんは唐突に告白した。
「あのとき僕は『子供がいない人生も、子供がいる人生と同じように、別の幸せがある』と咲に言いましたけど、多分、言った僕自身が、心からそれを信じていなかったんだと思います」
「当時は言語化できませんでしたが……」と石岡さんは続ける。
「僕、
“人として本来は取り組むべき子育てに取り組んでいない”という後ろめたさを抱いたまま、あと何十年も生きていくのは結構しんどいなって、当時からうっすら思ってたんですよ。正直言うと」

石岡さんの“人として本来は”に異論はあったが、飲み込んだ。
「咲は僕の本心を見透かしたんでしょう。あなたは子供がいない人生を引き受ける覚悟がないのに、そう言ってるよね? と。その通りです。僕、あの時から心のどこかで予感してたんですよ。子供がいない人生って、たぶん暇だなって」
「暇」とは?
「仕事は嫌いじゃないけど、それを頑張って、お金がもらえて、だからどうなるの?ってことですよ。今さら自己実現って歳でもないし」
趣味や友人、何より咲さんというパートナーを大事にして生きていく人生では不足なのか。
「それ全部、現在の延長上にある要素じゃないですか。もちろん大切は大切ですけど、それらの行く末って予測可能の範囲内に収まるものでしょ? 子供をつくって育てることほど予測不可能性に満ちてはいない。エキサイティングじゃない。ドキドキしない。
僕は40歳の時点で、人生の後半生に全身全霊で取り組むことが、“子供”以外に浮かばなくなっちゃったんです」
それが「暇」の意味なのか。
「本当の絶望は、何か災厄や不幸が訪れるってことじゃない。“この先の人生、予測可能なことしか起こらない”ことが、絶望的に、絶望なんです」
<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>