「夫婦ふたりだけで歩む人生」を拒否された石岡さんは、その時の気持ちを「感情が交通渋滞を起こした」と説明した。
「咲に同情もしましたけど、一方で腹も立ったし、惨めで、悲しくて……。
今すぐ咲を抱きしめたいという気持ちと、僕の人生から今すぐこの女を切り離したいと気持ちが、高速で交互に訪れました」
夜が明けた。ふたりともほとんど眠らないまま、咲さんは会社へ。石岡さんも自室の仕事机に向かう。
「仕事にならないだろうなと思いきや、変なスイッチが入っていて、むしろ仕事に集中できました。懸念事項が完膚なきまでに破壊されてしまい、気を揉む対象が根こそぎ消滅したからでしょうね」
しかし、仕事が一段落すると、途端に嫌な記憶が頭に押し寄せてきた。
「不妊治療をやめた翌週末くらいだったかな。今まで頑張ったねという咲へのねぎらいをこめて、ちょっといいワインとデパ地下の惣菜で乾杯しました。その流れで久しぶりの行為に及んだんですが、前戯を始めようとすると、ワインで酩酊した咲がつぶやいたんです。
『意味ないよね、このセックス……』って」

石岡さんはこの取材中、いちばん悲しい顔をした。
「その時、例の女性政治家の『生産性がない』って言葉が、頭に浮かびました。クソですよ。最悪です。ほとんど萎えかけているのに、僕、必死に最後までしてね。
こんなに惨めな気持ちって、この世にあるんだと思いました」
石岡さんはすっかり冷えたコーヒーを口に含み、飲み込んだ。
「僕はどうすればよかったんでしょうね。咲が僕を、ふたりきりで人生を歩むだけの価値がない存在だと思っているなら、力不足で申し訳ありませんでしたと言うしかありません。
でも、じゃあ、一体何に努力すればよかったのか。努力して精子が若返るわけでも、咲の卵子や子宮の状態がよくなるわけでもなし」