――小説家でありながら、子どもに携わる仕事を続けていたのは理由があったのでしょうか?
瀬尾:小さい頃から教師になりたかったです。教員試験に受かればいいなと思いつつ、文学賞に応募しました。
仕事は学校で働くことで、小説は趣味…というと少し違いますが、仕事をふたつしているという意識はありませんでした。私は趣味があまりないので、小説を書くことを楽しんでいました。
――講師、教師を経て小説家デビューされたわけですが、保育士の資格も取得されていますよね?
瀬尾:教員生活最後の年の夏に健康診断に引っかかったんです。医師から子どもは難しいと言われ、手術しました。今は奇跡的に子供を授かりましたが、そのときは子どもが難しいなら、今度は赤ちゃんに関わってみたいなと思い、中学校を辞めて保育士の資格を2年かけて取りました。
――保育士の資格を取得されたことは小説執筆に活かされましたか?
瀬尾:保育士免許を取るために、乳児の病気のことや栄養のことを勉強したので、実際の子育てでは役立ちました。資格を取った直後に子どもが産まれ、せっかく受かったのに仕事で活かす機会はありませんでしたが(苦笑)。
――教師という仕事は毎年多くの生徒が入れ替わって、出会いの繰り返しかなと思うのですが、生徒さんとの毎年の出会いは重要な体験でしたか?
瀬尾:自分の子どもと生徒の違いは、生徒は1年か2年という限られた期間での付き合いであることです。その中でどれだけのことが出来るのかと、期間限定だからこその醍醐味があります。そんな中で、私は本当に生徒や保護者には恵まれていたと思います。
――教員生活で大変だったことはありますか?
瀬尾:山ほどあります(笑)。中学生なので「うざい」が口癖で、おはようと言ってもうざい、席に座れと言ってもうざい、なんです(笑)。そんなことばっかりだけど、不思議なことに中学生の子どもたちって自分の周りに向ける気持ちで溢れているんです。
中学生は、思春期以上に思春期で、こちらの思いがうまく伝わらないことのほうが多かったですが、生徒たちにとって毎日が楽しみだなというような教室であってほしいと思いました。
仲の良い友達だからじゃなくて、クラスのために動ける、そういう中学生の姿を見ていると、教師の側が教えられることが多かったです。