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“令和のイケメン像”は内面も大事?秋元康企画・原作ドラマ『もしイケ』最終回に注目

“ほんとうのイケメン像”とは?

 こうして普通メンであるはずの龍馬が、イケメン同級生たちとの交流の中で見つけていく「イケメンらしさ」が各話のテーマになっている。龍馬の奮闘の一部始終を必ずかたわらで見つめている風間も心動かされながら、彼が集めるイケメンらしさのカケラから次第に“ほんとうのイケメン像”が浮き彫りにされていく。  第3話、実は貧乏であることを隠していた宇治原(藤枝喜輝)が、イケメンカリスマ配信者としての嘘が暴かれ、プライドをかなぐり捨て勝負する潔さは、誠実さの鏡だ。堅物な武士道イケメンの神宮(水沢林太郎。何やら山﨑賢人風でネクストブレイクの予感!)が、剣道に韓国のエンタメ精神を取り込んで、好きなことを楽しむイケメンになる第4話。あるいは、誰にでも好き、好きと言っていた一ノ瀬(内藤秀一郎)が誰かひとりを愛する心を手にする第5話。  絶対的エース一星(宮世琉弥)が大ピンチに陥る第6話と第7話では、何者かが裏で糸を引く暴力事件のかたわら、マドンナのカンナ(遠藤さくら)に恋する普通メンの龍馬と幼馴染みの一星との三角関係が描かれる。 『武士道シックスティーン』(2010年)や『のぼる小寺さん』(2020)など、「青春映画の名手」として知られる古厩智之監督らしい男の子と女の子の瑞々しく印象的なツーショットが織り込まれた演出。そのほっこり温かい視点で、仲間たちの青春の新たな1ページが描かれながら、イケメンのあり方が見えてきたところで、いよいよ物語はクライマックスへ突入する。

「イケメンの定義」が問われる最終話

 まぁそんなこんなで、顔面偏差値が飛び抜けている彼らが、日々奮闘し、イケメン同士切磋琢磨しながら精神力を養っていく姿は、圧巻というか、彼らの顔面以上に清々しく感じられる。一応、龍馬含め、20人の候補者全員が、顔も性格もイケメンに成長出来たところで、風間が改めて問う「イケメンの定義」とは一体どんな意味を持つのだろうか?  本作が全編を通じて試みるのは、これまでイケメンはイケメンであることを求められ、あまりにも外見偏重で語られてきた「イケメン神話」の解体であり、それによってイケメンらしさを再考し、結果的にイケメンが再生と再構築する物語だ。「イケメン」とは何だろうか。単純に「イケてる面」を持った男の子なのか、「イケてるMENS」全般のことなのか。  先述してきた通り、イケメンを定義するために重要なのは、彼らの等身大の苦悩が滲む内面性であった。最終話ではいよいよ最終選抜メンバー5人が選ばれる。その中のひとりに龍馬が入っているのか、入っていないのか、さぁどうか。それがおそらく「令和のイケメン物語」を通じてイケメンを定義し直す重要なヒントになるのだろう。 <文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修 俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu
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