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アカデミー賞、夫の平手打ちで消された妻本人の意思。「妻を守った」論は意味不明

「妻を守る」ってどういうこと?

そもそも、揶揄(やゆ)されたのは妻のジェイダである。本人はそのとき、どう考えていたのだろう。もし私が彼女の立場であれば、自分が出ていって抗議したい。代理で夫に行ってもらうことを潔(いさぎよ)しとはしない。 「闘いに行くから見守ってて」 くらいのことは言うかもしれないが……。 「妻を守った」 この言葉の意味が私にはわからない。 あくまでも「妻の代わりを勝手に買って出た。妻の意志を確認せずに、了解もとらずに、飛んで行った勇み足」にしか思えないのだ。結果的に「妻を守った」ことになるのだろうか。
身も蓋(ふた)もない言い方ではあるが、自分のために他人に暴力を振るう男に、私は共感できない。ありがたいとも思えない。一般論ではあるが、そんな瞬間湯沸かし器のような男は、気に入らないことがあったら妻にも暴力をふるう可能性が高いのではないだろうか。 当日の夜、ニュース番組が若いカップルに話を聞いていた。 「同じような目にあったら、僕も殴っちゃうかもしれません」 「そうなったらキュンとしますね。守ってもらえたんだなと思うから」 いや、こういうカップル、どうにかしてくれと内心、悶々(もんもん)としてしまった。

主導権は妻のジェイダになくてはならない

皮肉なジョークには皮肉なジョーク返しをするとか、正式に侮辱罪として訴えるとか、場の空気を壊したとしても夫妻で会場を出ていくなど、抗議の方法はいろいろあったと思う。いずれにしても主導権は妻のジェイダになくてはならない。 自身の病気を公表するのは大変、勇気のいることだと思う。ジェイダは、それをあえてやったのだから、人に噂されることもからかわれることも織り込み済みではないのか。 世の中、善人ばかりでないことは大人なら誰でも知っている。勇気があると賞賛する人たちの合間から、こっそり悪意が覗(のぞ)いているものだ。似たようなことを多くの人は経験しているだろう。だとすれば、そういう悪意や、あるいは悪意がないゆえに処しがたい“ジョーク”にも、自ら対応したほうがよかったのではないだろうか。 夫と妻との関係は、もちろん当事者でなければわからない。だが、「夫は妻を守るもの」という考え方は、「妻は夫の庇護(ひご)のもとにあるべき」と大差はない。妻はひとりの自立した人間である。 あんなジョークがジョークとして認定されていいはずがないのは百も承知。だが、その対応は少なくとも、妻の意志のもとにおこなわれるべきだったのではないかと個人的には考えている。 <文/亀山早苗>
亀山早苗
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio
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