男性上位がゆらいだ今、優位だった過去へのノスタルジーが濃縮
大昔の男性上位といえば、“男に尽くす女”とか“未練がましく男にすがる”といったわかりやすいものでした。当時の歌謡曲からもよくわかります。
たとえば、<悪い時はどうぞぶってね あなた好みのあなた好みの女になりたい>(「恋の奴隷」詞・なかにし礼)とか、<ききわけのない女の頬を ひとつふたつはりたおして 背中を向けて煙草を吸えば それで何もいうことはない>(「カサブランカ・ダンディ」詞・阿久悠)のような歌詞ですね。
男の力に服従する女という絵がクリアに共有されていたわけです。

写真はイメージです
ところが時代は変わりました。女性が社会進出を果たすと、男性よりも仕事ができることが判明し、まだまだ同等とはいかないまでも経済力の面でも肩を並べるほどの勢いを持ち始めます。
そこで、女性にはできない労働でカネを稼ぐという男性の優位性がゆらぎ始める。すなわち、社会において“男であること”の価値が脅かされるのですね。
昨年欧米でベストセラーとなった『Of Boys and Men: Why the modern male is struggling, why it matters, and what to do about it』(RIchard V. Reeves)という本は、コミュニケーション重視の現代社会と労働市場の変化が、いかに男性にとって不利な環境をもたらしたかを説いています。過激な女性嫌悪や暴力的な思想も、男性の優位性が失われたことから生じていると言っているのですね。
いまの日本も似た状況にあります。だからといってかつてのような「男の力に屈する女」という理想を簡単に捨てきれるわけではありません。むしろ、不遇な時代だからこそ、ノスタルジーは濃縮されているとさえ言えそうです。
そこに現れたのが、キャンドル氏の“慈愛に満ちた保護者目線”なのです。露骨(ろこつ)に暴力と経済力をふるえなくなった男たちのよすがとして、上っ面だけ全能的な愛で包み込む。少なくともそのように振る舞って見せる。
そうすることで、弱者、敗者としての立場を転換させる。敗れているからこそ、寛容であり、全てを受け入れられるのだという逆転の発想ですね。
実際に、2021年にはYouTube『街録ch~あなたの人生、教えて下さい~』で、「本来ならもっと稼がなきゃいけないところを、世間からヒモって言われても仕方ない」とキャンドル氏は語っていました。
そうした弱い部分を他者から指摘される前に自ら認めることで批判を封じ込め、自らの立ち位置を整える。キャンドル氏の頭の良さや落ち着きは、開き直った否定性によって成り立っていると言っていいでしょう。
18日のキャンドル氏の記者会見に喝采(かっさい)を送った男たちは、そのようなルサンチマンの甘い汁に酔ってしまったのです。