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有吉弘行「涙が…」藤井フミヤの作詞に感激『白い雲のように』が古びない理由

絶対に歌い上げない有吉、自己を消していく奥ゆかしさで表現

 こういう曲だから、有吉の歌がハマるのだと思います。人気コラムニストの故・ナンシー関はデビュー早々に有吉のふてぶてしさを見抜き、将来必ず大物になると断言していました。これが歌にもあらわれている。有吉は絶対に歌い上げないのです。
猿岩石「白い雲のように」日本コロムビア

猿岩石「白い雲のように」日本コロムビア

 当時の相方・森脇和成の歌は、いわゆる“イケメン”風のボーカルでした。曲に負けまいと、声に色気を作る。“自分が”歌っているのだと爪痕を残すような歌い方をしていました。  ところが有吉は違うのです。音楽であることを強調するより、語ることを優先する。自己を消していくような表現方法なのですね。これは現在に至るまで全く変わっていません。ブレイクから一転、全く仕事がなかった“地獄”を見てきたことも、さらに有吉の無私を鍛(きた)えたのでしょうか。  いずれにせよ、いかにも“歌っている”と感じさせない奥ゆかしさが、「白い雲のように」を支えているのです。

有吉の歌・曲の無常観のおかげで紅白でも感動ポルノを避けられた

 そして、この無私の感覚と曲の無常観がとてもよくマッチする。隙(すき)だらけだからこそ、聞く人それぞれの解釈や感情の入り込む余地が生まれる。  上島竜兵に捧げた紅白でも、わざとらしい感動ポルノに陥らなかったのは、曲と有吉の歌のおかげだったと言って過言ではないでしょう。
 Jポップ史において、「白い雲のように」は異色の楽曲でありつづける。有吉と藤井兄弟の共演で再認識しました。 <文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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