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「ネットニュース」に怯えるテレビ制作の現場…“空虚な謝罪”に何の意味があるのか|ドラマ『不適切にもほどがある!』

「彼氏」「彼女」ではなく「パートナー」

 栗田がSNSの炎上に怯えて八嶋を言葉狩りしていく様子は、コミカルでありながらもどこか胸がざわついて仕方なかった。実際、コンプライアンスを強く意識しなければいけないのは、テレビ関係者に限らず一般人も例外ではない。  2月10日に産経新聞が首都圏と近畿圏にある私立女子中学校・高校を対象に実施したLGBTなどセクシャルマイノリティに関するアンケート結果を発表したが、中には「『女性らしく』『男性ならでは』など性差を強調するような発言には、十分に注意することを教職員に指導している」「将来設計を考える授業で『彼氏』『彼女』という言葉を使わず、『パートナー』と表現する」といった回答が寄せられていた。  学校現場を対象にしたアンケートではあるが、恐らく一般企業でも同様の教育は徹底されているはず。「女性らしく」「彼氏」と発言すれば、ハラスメント認定される時代になり、言葉・発言の多様性は失われているようにも思う。  もちろん、こういった主張をポロっと口にすると「マイノリティの人の気持ちは無視するのか!」といったお叱りがそれこそSNSから飛んでくる。栗田のように「何がハラスメントに該当するのか」「コンプライアンスのある程度の定義」など、明確なガイドラインを求める人は多いのではないか。

マジョリティの苦悩に寄り添うドラマに期待

『不適切にもほどがある!』

画像:TBSテレビ『不適切にもほどがある!』公式サイトより

“ドラマは時代を映す鏡”と言われており、「ガイドラインをどのように設定するのか」という議論を促すようなドラマが制作されれば、今感じている息苦しさを払拭する空気感が醸成されるかもしれない。  まさに『不適切にもほどがある!』では例のごとく歌に乗せながら市郎が「娘に言わないことは言わない」「娘にしないことはしない」「それが俺たちのガイドライン」と口にしたが、この市郎の提案を受けてガイドラインについて意見を出し合う流れが現在SNSで見られている。  ここ最近はマイノリティの生き辛さに焦点を当てたドラマが多く放送された甲斐もあり、ある程度ではあるがマイノリティに対する理解は進んだ。今後はマジョリティの悩みや困難にも焦点を当て、双方の歩み寄りを促進する『不適切にもほどがある!』のようなドラマが放送されることに期待したい。 <文/望月悠木>
望月悠木
フリーライター。社会問題やエンタメ、グルメなど幅広い記事の執筆を手がける。今、知るべき情報を多くの人に届けるため、日々活動を続けている。X(旧Twitter):@mochizukiyuuki
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