Adoの国立競技場ライブに批判殺到。「顔出しNGでのライブ」にそもそも無理はないのか
Adoの音楽、プレゼンテーションに無理はないのか
ライブでなければならない理由を見出すのが難しい
厳しい言い方をすれば、これはスマホ画面を拡大しただけの世界観なのではないか。 歌の迫力が担保されないのなら、これがライブでなければならない理由を見出すのが難しいのではないかと感じます。 クオリティが低いと言いたいのではありません。ただ、Adoの楽曲、ビジュアル展開が、ストリーミングや動画視聴に特化した狭い範囲のクリエイティブなのではないか、ということです。 確かに、素性を明かさず、影が踊り狂い、身体を捻(ね)じ曲げ、床に突っ伏して絶唱する光景には大きなインパクトがありました。けれども、その衝撃は瞬間最大風速的なものであり、物珍しさは次第に薄れていきます。京都・東本願寺の能舞台から「唱」を歌わせていただきました。
— Ado (@ado1024imokenp) December 31, 2023
素晴らしい景色に、素晴らしい舞台でした。
ご視聴いただきありがとうございました。
#NHK紅白
#紅白歌合戦 pic.twitter.com/gqlwzNtvq3



