きゃぁ、ウブだぁ~と叫びたくなる。キスを見たときの、胸がキュッとなるような、目の前の光景が遠のくような感覚。繊細というよりは、それをシンプルな純情の視線で木戸は見せてくれる。
それ以外の場面でも基本的に、陽太はどこか一点を見つめるように相手を眼差す。その瞬間の表情も決まってピュアな感じ。それ以上でも以下でもなく、特に表情に変化はない。
表情の演技が一辺倒と言えなくもないのだが、でもそれが木戸大聖の魅力ではないかと思うのだ。変に感情豊かな演技で、表情に細工を施すくらいなら、たとえ無骨な印象を与えても余計なことはせずにいたほうが、よっぽど潔くはないか?
いやもちろん俳優である以上は単に佇んでいるだけではいけない。ちゃんと演技をしなきゃならない。でもじゃあ、ちゃんとした演技とは実際のところ、どんなものを指すのだろう?
これは映画表現を専門としてきた筆者の実感だが、(映像の)俳優の演技とは、ズバリ、フレーム内にピタッとおさまる才能だと思っている。変にエモーショナルにならずに、どこまでも無駄がなく、シンプルに。
その上で演じる役柄の内面(キャラクター)と噛み合うこと。『9ボーダー』の木戸は、その意味ではとても悩みながら高木陽太役を演じていたのではないかと想像する。
ウブでピュアな印象はそのためだと思うのだが、木戸大聖という俳優を考えることは、そのまま演技そのものについて考えることにつながるのだ。