
さらに、時代とともに変化する生活様式と、前時代的な価値観のギャップに苦しむ親も多いといいます。
「現代は性別を問わず全市民が労働をしているにもかかわらず、『子育ては母親がするもの』という考え方に閉じ込められる女性もいまだ少なくありません。日々の労働に加えて育児にも全力で向き合っていたら、自分の時間はどんどんと失われていきますし、自分自身について考える時間や気力を確保することだって難しい。自分の意見を持つ余力がないと、自分の価値基準がない状態で子育てをすることになるので、さらに何かへ依存せざるをえなくなります」
杉山さんは、遠矢被告をはじめ児童虐待加害者となった親の多くが、社会的な規範に主体性を奪われてきたと語ります。親がアイデンティティーを失っていくことで子どもへ及ぶ危険性とは、どのようなものなのでしょうか。
「児童虐待は、子どもをコントロールしたいという親の欲求が原因となる傾向にあります。それらは加害者が抱える『そうしないと自分の世界が壊れてしまう』という恐怖心の裏返しであり、その背景には『そこまでしないと自分の世界が保てない』と思いこむ自尊心の低さがあるといえます。
少しでも自己肯定できる気持ちがある人なら、不利な立場に置かれたときに「イヤだ」とか「こんなのはおかしい」と思えるはずだし、“生きづらい”現状を打破しようと対策したり、声を上げることだってできるはず。逆にいえば、それを感じられないほど自分の言葉を奪われてしまった人たちが彼らだというわけです。
弱い立場にいると、自分が何を感じているのかさえわからなくなってしまう。『自分が何かを感じることは許されない』という意識が強まっていく。アイデンティティーを失った親のしわ寄せで、被害に遭うのはもっとも弱い立場である子どもなのです」
この世には、さまざまなルートで幸せになる方法がある
「育児には正解はない」という言葉がある一方、多くの「親ならばこうあるべき」が存在する日本社会。遠矢被告の「理想とする母親像に及ばない」という自責の念は、こうした抑圧的な環境の中でさらに大きくなっていったという見方もできるかもしれません。
「子どものために自分をすり減らし犠牲になってこその親だと考えている人も少なくないでしょう。親は『つらい』ということを表に出してはいけないという考え方もありますね。でも親こそ、自分が何かを感じとることを、自分自身に許すという意識を育てることが大切なのではないかと思います」
杉山さんは「親子や家族の関係は、必ずしも絶対視するべきではない」という発想が、むしろ健全な親子関係を構築すると語ります。
「最近は『毒親』という言葉で親の責任を強化するような風潮もありますけど、『わが子の人生の責任は自分にある』という考えにとらわれるのではなく、親自身も追いつめられる時だってあるし、いろいろなものに出会いながら幸せに生きるべき。たとえ理想とする親像に自分がなれなくても、それによって子どもの人生が失敗するかというとそうではない。
人間は親だけでなくいろいろな存在によって形成されていくものなので、子どもとの関係が思い通りにいかなくても、よそで他の人といい関係性を築ければそれはそれでいい。親子や家族関係によってだけでなく、この世にはさまざまなルートで幸せになる方法があるのだ、という考え方が社会にもっと広まってほしいと思います」
<取材・文/菅原史稀>