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「近年の山下達郎の音楽は苦しい」ライブ途中打ち切り、好意的な声が集まるも否めない“完璧主義者の危うさ”

山下達郎『SOFTLY (LP) 』ワーナーミュージック・ジャパン

山下達郎『SOFTLY (LP) 』ワーナーミュージック・ジャパン

 しかしながら、今回中止になったライブを観に行った人の中には、“少し声は出しづらそうだったけれども、全く出ていないわけでもなかった”とコメントしている人もいました。ということは、お金を払ったライブとしてお話にならないほどの代物ではなく、人によっては分からないぐらいの誤差であった可能性もあるわけです。  そのような素人にはわからない不具合でも音楽が崩壊してしまうと考える繊細さは、超一流のプロフェッショナルとして尊敬に値する姿勢である一方で、裏を返せば、過度に生真面目ということも言えないでしょうか?  自分の設定した基準、イメージを崩してはならないと深刻に考えることは、それは自分自身という人間そのものを重大な存在だと考える、尊大な態度につながり得るからです。  だとすれば、全く声が出ないわけでもなく、42℃の熱で起き上がれないわけでもないのに、「納得がいかない」という自身の判断でライブを打ち切ることが、本当に称賛に値する行為なのだろうか。

音源そのままの表現へのこだわり「間違い」を拒絶

『サウンド&レコーディング・マガジン 2022年8月号』リットーミュージック

『サウンド&レコーディング・マガジン 2022年8月号』リットーミュージック

 そうした自らに設けた高い基準が、原曲のキーを維持し、録音された年代の演奏を再現することなのなら、それは音楽のライブというよりも、ミニチュアやジオラマの発表、鑑賞に近い感覚なのかもしれません。 “自分の世界”の保存が、音源そのままの表現へのこだわりにつながっている―――。高校時代にハマり、その後熱が冷めていった筆者の山下達郎評は、そんなところです。  アメリカのシンガーソングライター、ベックは「芸術は間違いの裂け目がもたらす新しい視点から生まれる」と話していました。これまでの言動からすると、山下達郎というミュージシャンはその「間違い」や「裂け目」を拒絶する人なのだと言えます。  そういえば、山下達郎は芸術という言葉が嫌いで、自身を「職人」(フランス語のArtisan)だと語っていましたっけ。  つまり、山下達郎の音楽は、閉じられ、圧縮された中で濃密な輝きを放っているのです。 <文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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