政治家とファッションについては、日本よりも海外のほうが厳しくチェックされます。ファッション誌はもちろん、イギリスの「テレグラフ」やアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」といった高級紙でも、しばしば関連記事が掲載されています。しかも、日本のメディアとは比較にならないほど細かな点を厳しく批評します。
彼らの身にまとう服のブランドに触れることはありますが、重要なのは、政治家自身がその服をどのように着こなし、どのような意図やメッセージを込めて選んでいるかです。最高級の生地や一流の職人による仕立てだから素晴らしい、あるいは尊敬に値すると考える人はいません。
あくまで服を通して人物の思想やセンスを評価しているのです。
たとえば、来年1月に来日予定のイタリアのジョルジャ・メローニ首相の場合です。イタリア経済の危機に直面するリーダーとして、彼女が選んだのは高級腕時計ではなくApple Watchでした。また、極右やファシストと懸念される自身のイメージを払拭するため、ファッションを戦略的に活用しています。
<ジョルジャ・メローニの新しいスタイルは、ワイドレッグパンツ、スニーカー、ゆったりとしたブラウス、そして鮮やかな色彩を特徴としている。ファシズムへの拒絶は黒という色の否定にもつながるからである。>(『Vogue Italia』 2022年9月27日 Googleによる翻訳)
この分析からわかるのは、メローニ首相の手法が、「なめられたらいけない」「マウントを取る」といった発想とは真逆であるということです。まず彼女は、自分が他者からどのような人物として理解されたいかという目標を設定し、そこから逆算して素材やシルエットを選んでいるのです。
モノの価値の優劣で他者との関係を掌握しようとする、貧しい発想ではありません。
もっとも、メローニ首相も重要な場面では“Giorgio Armani”のスーツを着用します。しかし、このスーツはブランド力で威圧するためのものではなく、首相就任以来培ってきた言動や表情、仕草の一部として存在していることが分かります。
そう考えると、高市首相がどれだけ高級で上質な服を着たとしても、現状ではその価値が十分に伝わりにくいのではないかと感じられます。表面的にはわかりやすい愛国心や保守思想を訴えているように聞こえますが、その言動が具体的に高市早苗という人物の何を象徴しているのかは、まだ見えてきません。

画像:総務省統計局 プレスリリースより
一見、主張しているようで、実は何も主張していない。言葉だけの強さが独り歩きしているのです。それは服についても起こり得るのではないでしょうか。
もしそんな空虚さが、今の日本を象徴しているとすれば、皮肉な話と言えます。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4