とはいえ、生成AIには重大な欠点がある。生成AIが出力した画像には、なんとも言えない違和感を覚えることが多い。のっぺりとした色使いや、違う顔ではあるもののどこか同じ人間に感じる表情など、生成AI特有の作画にゾワッとしたことのある人は少なくないのではないか。

画像生成にAIを使用しています
AIが生成した画像は、意識・無意識にかかわらず目を背けたくなることがあり、広告やポスターに使用された際、その独特の質感に違和感を覚える人も少なくない。
AIによる画像生成をめぐっては、クリエイターの権利や学習データの扱いについて議論が続いている。AIはこれまでのクリエイターの積み重ねを“便利に利用”しているだけであり、クリエイターの思いや努力を踏みにじっているという見方をする人も少なくない。
AI生成画像に否定的な立場の人も一定数おり、企業による活用が議論を呼ぶケースもある。便利だからといって、誰もが歓迎しているわけではないのだ。
同じ「無料で使えるイラスト素材」であるにもかかわらず、いらすとやに対しては違和感どころか、むしろ親しみすら覚える点は興味深い。

いらすとや 楽しい飲み会のイラスト
その理由の一つは、人間らしさを感じられることにあるのではないか。いらすとやの作品にはユニークなものが多い。そのユニークさの奥に、作り手である「みふねたかし」氏の存在を感じ取れる。また、色覚特性を持つ人でも見やすいように配慮されたカラーユニバーサルデザインになっており、人間が持つ面白さや優しさを感じられるからこそ、安心感をもたらすのではないだろうか。AIが普及したからこそ、改めていらすとやの価値が見えた気がする。
一方、生成AIの画像は、学習データの集合から導き出された、いわば“誰でもない誰か”の絵だ。その“人間の気配のなさ”こそが、いらすとやとは真逆で、不気味さを抱かせている。スーパーの野菜売り場ではないが、“生産者の顔”が見えることがいかに安心感につながるのかを、生成AIの台頭が示したように思う。
とはいえ、今後生成AIの精度は向上し、“AIっぽさ”は解消されることが予想され、生成AIの利用が見直されることはないだろう。数年後、広告やポスターの世界がどう変化しているのか、楽しみではある。
<文/浅村サルディ>
浅村サルディ
芸能ネタ、炎上ネタが主食。好きなホルモンはマキシマム ザ ホルモン。