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都庁、加古川、南港…相次ぐストリートピアノ騒動に共通するのは、公共の場への視点の欠如

 都庁のストリートピアノをめぐって騒動が勃発しています。

演奏を邪魔されたと訴える投稿に賛否

お披露目会写真

2019年4月に都の観光に関する公式Xアカウントに掲載された、「都庁おもいでピアノ」のお披露目会の写真

 きっかけは、あるXユーザー男性による投稿です。投稿内容だけでは一連の経緯や詳しい事実関係は確認できませんが、男性は都庁のストリートピアノ「都庁おもいでピアノ」を演奏した際、ピアノのそばで大声を出す集団に我慢がならず、目線を投げかけたと訴えています。演奏の妨げになるほどの声量で、都庁の職員も注意するほどだったそう。  この訴えに対する反応はさまざまでした。「そこにいる人たちはピアノを聴きに来た人たちばかりではない」「こういう勘違いをしている人がいるからストリートピアノは嫌いなんだ」といった辛辣な意見の一方で、「職員が注意するくらいなんだから仕方ない」と投稿主に同情する声もありました。  こうした反応を見ていると、それぞれの許容量によって認識が変わる、非常に繊細な問題であることがうかがえます。  投稿主の義憤も理解できるし、それも含めて「ストリートだろう」という反論にも一理ある。

加古川では“ガンガン演奏”、南港では“練習”が問題に

 これまでにもストリートピアノをめぐっては大きなニュースになってきました。2023年、兵庫県のJR加古川駅では長時間の占有や大音量での演奏などルール違反が絶えず、わずか半年でピアノが撤去された。2025年には大阪市の大型商業施設内に設置された「南港ストリートピアノ」で、運営側が「練習は家でしてほしい」と利用者に注意喚起したことがSNSで物議を醸し、最終的に撤去される事態に。そして、都庁でのトラブルがここに加わった格好です。    こうしてまとめると、そこには共通点があることがわかります。それは、ストリートピアノと公共性の問題です。さまざまな価値観を持つ人たちが集まる場において、それぞれがそれなりに納得できる作法やプロトコルが、日本にはあるのかどうか。果たして、日本人はパブリックスペースを有効に活用し、そこで見知らぬ他者との交流を自然に楽しめる感性を持ち合わせているのだろうか、という問題です。  たとえば、加古川のケースでは、独りよがりな演奏が問題になりました。「ピアノをガンガンと叩きつけるように弾いていてうるさい」「不快な音を奏でる人がいる」といった苦情が寄せられたといい、背景には近年増えている、派手な演奏で人目を引く「弾いてみた」系のピアノYouTuberの存在を指摘する声もあります。  これとは逆に、南港の場合には、人に聞かせる以前の練習をしにくる人たちによる、曲として成立していない雑音がきっかけとなりました。
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上手くても下手でも「自己完結」?日本のストリートピアノに欠けているもの
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