ところが、ネタとして楽しんでいた美輪さんの言葉を真に受けて、本気でありがたがる風潮ができあがってしまいます。
そのきっかけが、かつての人気番組『オーラの泉』(テレビ朝日系、2005-2009年)です。スピリチュアリストの江原啓之が、ゲストの前世やオーラや守護霊を霊視し、美輪明宏とともにアドバイスするという番組で、最後は批判を浴びて終了しました。
これ以降、オカルトやスピリチュアルといった言葉がよりカジュアルになりましたよね。

朝日新聞でも人生相談をしていた。それをまとめた『楽に生きるための人生相談』(2015、朝日新聞出版)
悩みや不安について、具体的な解決法を提案するのではなく、目に見えないものを意識させることによって、あたかも現実から救い出してあげられるかのような論法。これが、長引く不況や世界情勢の激変に揺れる時代の空気とマッチしてしまった。その瞬間から、美輪明宏はガチで扱われるようになってしまったのだと思います。
お茶の間の涙を誘った、『第63回紅白歌合戦』(2012年)での「ヨイトマケの唄」も、その一例でしょう。もしあれが90年代後半だったら、“ん、なんだこれは?”と不思議がる声もあったはず。いちいち歌詞を直訳したような振り付けを交えるもんだから、ジェスチャーゲームに見えちゃって。故・ナンシー関(消しゴム版画家でコラムニスト)なんか、いじり倒しただろうなぁ。
ところが、現代にあっては、ほとんどが素で感動してしまいました。あの歌とも語りとも芝居ともつかない、不可解なテルミンのような節回しに、なぜか人生の深淵を見たつもりになってしまった。たとえ道徳的に崇高なメッセージを持つ歌であっても、一歩立ち止まって考える間を失ってしまったように見えました。感情が最優先される風潮を如実に映し出しているように感じられたのですね。
こうして、論理的思考力や鑑賞力が弱まるほどに、反比例して強度を増していくのが美輪さん的オカルティックな論法。今回の“妄言”が生まれる土壌は、こうしてできあがったのでしょう。
というわけで、このたびネットユーザーからNGを突きつけられてしまった美輪さん。長いこと“愛の伝道師”として君臨してきましたが、そろそろオーラの効力も途切れてきたのかもしれません。
<文/石黒隆之>
⇒この著者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4