草間彌生の“激動の半生”とは――なぜ彼女は「水玉の女王」になったのか
筆者のアーティストの友人が随分前に芸術家・草間彌生(くさま・やよい)の個展を訪れたところ、ご本人が風のように入ってきて、水玉のシールを鑑賞者ひとりひとりにペタっと貼っていったという話を聞いたことがあります。
鑑賞者をもアートの一部にしてしまう草間彌生のバイタリティに思わず唸ってしまう逸話ですが、現代アートに造詣が深い人でない限り、彼女にとって水玉がなぜあれほど重要なのか知らない人も多いかもしれません。
ただ今公開中のドキュメンタリー映画『草間彌生∞INFINITY』で明らかになるのは、彼女の知られざる人生。あの水玉にはどんな意味があるのか――。なぜ彼女が世界的なアーティストなのか――。本作より読み解いていきたいと思います。
1929年3月22日、長野県松本市の種苗業を営む4人兄弟の末っ子として生まれた草間彌生は幼い頃から草木をスケッチするなど絵を描くことに夢中になっていたそう。感性と才能に恵まれ裕福な家庭で育った彼女はさぞかし恵まれていたように思えますが、実は両親は不仲でした。養子婿だった父親は女性関係が派手で、彼の浮気グセは草間の母親だけではなく、子供たちにも悪影響を与えるほどだったとか。
夫の度重なる浮気によるストレスや戦前の封建的な時代が原因で子供たちに辛くあたりがちだった母親は、草間の芸術的才能を育もうとするばかりか、女性が絵を描くことは“よい妻になる”ことに何の役にも立たないとし、彼女が描いた絵をビリビリと破くこともあったそうです。
母親に反対されても絵を描くのをあきらめきれなかった草間彌生は、10歳の頃から水玉や網目模様を用いた幻想的な絵画を描いていました。なぜなら、彼女は幼い頃から強迫神経症と思われる幻視や幻聴に悩まされており、それらを絵に描き続けていたのです。1957年、敬愛する女性アーティストの勧めで草間は単身渡米し、1960年代のNYで巨大なキャンパスを網目で埋め尽くす作品によってアート界で注目を集めます。
2011年2月19日に立命館大学が行った、立命館大学大学院先端総合研究科准教授の吉田寛氏と京都市立芸術大学学長の建畠晢氏の対談によると、草間の作品を読み解くには3つのキーワード、「オブセッション(強迫観念)」、「アキュミレーション(集積、積み上げる)」、「レペティション(反復)」があり、これら3つの強迫観念/集積/反復の上に「セルフ・オブリタレーション(自己消去)」があるそう。
つまり、際限なく水玉や網目を描き反復し、その中に自分を埋めることによって、自己を消し去ってしまうというのが草間のアートの過程なのだとか。その強迫観念がどこから来るのかは明確ではないものの、草間は内的に潜む恐怖のイメージを自分自身で作品化し、あえて恐怖の核心に飛び込むことによって心理的抑圧を解消していったのではないか――。
端的に言うと、彼女は自分自身を恐怖から解放し治癒するために作品を作っていたのだと推測されます。ちなみに、現代アートの中では「反復」や「集積」は比較的よく見受けられるスタイルですが、「観念」は草間のオリジナルなスタイルと考えられているのだそう(※1)。
両親の不仲に苦しんだ少女時代
水玉、網目模様に対する強迫観念
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