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74歳の歌姫、『プレイボーイ』誌の表紙に?「バストは42年前と同じよ」

 現在御年74歳の米音楽界の大御所ドリー・パートンが、男性向け雑誌『プレイボーイ』に登場するかもしれない。1978年に、女性カントリー歌手として初めて同誌の表紙を飾ったドリーは、以前から「75歳になったら再び同誌の表紙を飾りたい」と明言していた。来年1月には75回目の誕生日を迎えるが、もしこの話が実現したら、42年前と同じバニー姿で登場するのだろうか?

「バストのサイズは当時と変わっていないから……」

ドリー・パートン

ドリー・パートン

 今年1月に74歳になり、その数か月に受けたインタビュー番組で「75歳になったらまたプレイボーイの表紙を飾りたい」と明かしていたドリー。75回目の誕生日を約3か月後に控え、先日出演したBBCのラジオインタビューであらためて、この件について言及した。  番組のなかで、同誌の表紙に本当に登場するのか? と尋ねられると、次のように答えた。 「そうね、ありえるわ。センスの良いものが作れるならぜひやりたい。そして、プレイボーイもそれを望むならね。質の高いインタビュー記事も一緒に掲載できたらと思ってるの。私たちがそのことについて、話をしているのは本当よ」  1978年に同誌の表紙に登場したときは、まだ32歳だったドリー。当時はヌード写真が多く掲載されている成人向け雑誌だったプレイボーイに、女性のカントリー歌手がバニー姿で登場したことについては、賛否両論あったともいわれている。
プレイボーイ誌の表紙

1978年10月号のプレイボーイ誌の表紙を飾ったドリー
(※画像:Amazonより)

 ところで、42年前には黒いレオタードに兎の耳をつけていたドリーだが、75歳でも同じ衣装を着るのだろうか? これについては、以前のインタビューでこう答えている。 「たぶんね!(衣装は)使えると思うわ。だって、バスト(のサイズ)は前から変わってないから」

「まだ始まったばかり」引退は一切考えていない

 米南部テネシー州で、12人きょうだいの4番目として生まれたドリー。慎ましい家庭環境で育ち、当時は「極貧」だったとのちに振り返っている。けれども、そんな自身のバックグラウンドを常に誇りに思っているという。農業従事者および建設作業員だったという父については、「父は教育を受けなかったけど、取引がすごく上手だった。そして、子供の育て方もね」と話す。  そして、「(故郷である)グレート・スモーキー・マウンテンズで育ったことは何にも代えられない。どんなに貧しかろうが、汚なかろうが、そこの人たちを恥ずかしいと思ったことなどない。私は自分の出身を常に愛してきたし、周りの人たちも愛してきた」として、自身のルーツを愛する大切さを語っている。  子供のころからラジオやローカルのTV番組で歌っていたドリーは、高校卒業と同時に音楽の道へ。1967年ごろから、カントリー歌手として頭角を現すようになり、ヒット曲を連発。特に、1974年の『オールウェイズ・ラヴ・ユー』はカントリーチャート1位を獲得し、のちにホイットニー・ヒューストンにカバーされて世界的に大ヒットを記録。今でも語り継がれる名曲となった。  高齢に差し掛かってきたものの、引退は一切考えていないというドリー。「まだ始まったばかり」の気分で、曲作りへの情熱はかつてないほど強いという。 「まだこうして活動出来て、業界で重要な人物でいられることは感動するし、ありがたい気持ち。本当に、まだ始まったばかりのような気分なの。おかしく聞こえるのは分かってるけど。もしかして音楽界で成功するかも?! なんてね」
 歌手、女優、経営者、慈善活動家など様々な顔を持つドリー。75歳になった暁には、ぜひともプレイボーイ誌の表紙を飾る姿がみたい。 <文/BANG SHOWBIZ、女子SPA!編集部>
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