「私も家庭に居場所がないんです」
フミさん(45歳)はそう言う。結婚して16年、15歳と12歳の子がいるが、ふたりの子を育てて家庭を切り盛りしてきたのは同居する義母と夫だ。
結婚してすぐ、夫は会社を辞めて独立すると宣言した。そのときすでに、フミさんは妊娠しており、離婚は考えられなかった。

写真はイメージです(以下同じ)
「起業するのかと思っていたら、フリーランスでWEB関係の仕事をするという。私が会社勤めを続けていけば飢え死にすることはないだろうと思っていました。
子どもが生まれてすぐ、夫の一存で義母が同居することに。そのときも夫は『だってかあさんがいれば、きみはすぐにでも仕事復帰できるだろ』って。産休だけで育休もとらずに復帰しましたよ。2人目の子のときも同じ。夫と義母は仲がよくて、さらに子どもたちもふたりが大好き。だから私は徐々に居場所を失っていきました」
生活費を稼いでいるのはフミさんだ。夫の収入はアルバイト程度だし、義母の年金も少ない。だから夫も義母も子どもたちも、フミさんの被扶養者となっている。
「正直言って、
誰のおかげで生活できているんだ、と言いたい男の気持ちが少しわかります(笑)。夫や義母が水を出しっぱなしにしていたりムダに電気をつけているのを見ると、その言葉が喉まで出てくる。言ってはいけないと思ってこらえていますが」
ふたりは母親の苦労を子どもたちには伝えていない。それもフミさんがイライラする理由だ。今だから話せるけれど、と前置きしてフミさんは秘密を明かしてくれた。

「
40歳になったばかりのころ、13歳年下の部下と関係をもっていました。彼は離婚してほしいと言ったし、私も本気で離婚を考えたけど、やはり子どもたちが彼になじめるとは思えない。私だけが家を出ようかと悩みましたが、
結局、年下の彼にフラれたら戻るところがない。冒険はできませんでした。
その後、彼は会社を辞めて故郷に帰ったんです。今も連絡を取ることはありますが、どうやら同世代の彼女ができたみたい。それを聞いたときはよかったねと思うより寂しさのほうが強かった」
今も子どもたちには自分から積極的に話しかけているが、平日はほとんど一緒に食卓を囲むこともないので、なかなか溝は埋まらない。このコロナ禍においてもフミさんの仕事は連日出勤せざるを得なかった。