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「自由をうばうコロナ政策」を猛批判して、“ギターの神様”が炎上中

自粛を呼びかける、真逆のミュージシャンも

 さて、クラプトンやモリソンに賛同するかどうかはひとまず置いておいて、新型コロナに対する反応が、政治思想によって分かれているのは興味深い現象です。
 アメリカ次期大統領のジョー・バイデン氏(78)の集会でパフォーマンスを披露したレディー・ガガ(34)は早くからマスク着用を呼びかけ、音楽賞の授賞式でもアリアナ・グランデ(27)とのマスクコーデのデュエットが話題になりました。  同じく民主党支持で知られるジョン・ボン・ジョヴィ(58)は、ストレートな応援歌「Do What You Can」を書き上げました。学校は休校になり、人々は仕事を失う。いつどこで誰が命を失うかもしれない状況で、ソーシャルディスタンスを保ち、愛のもとに団結しよう、という歌詞。
Do What You Can (Single Edit)

Do What You Can (Single Edit)

 昔かたぎで、“風邪なんて屁でもねぇ”といった具合のクラプトンとヴァン・モリソンとは真逆の内容ですよね。

どちらの音楽もアジビラみたいに直接的

 一見すると、異なる政治的な立ち位置から、新型コロナをめぐって反目しあうミュージシャンたち。しかし、両者に共通している点に気づきます。それは、ソングライティングから創作が失われているのではないかということ。  陰謀論に片足をつっこみながら政府の対応を批判するモリソンも直情的ならば、人々の置かれた状況をただ新聞記事のように羅列し、最後は愛だと説くしかないボン・ジョヴィも、道徳の教科書みたいなことを言っている。  どちらも音楽の歌詞というよりは、アジビラに近いテイストが漂っているのです。建前上はボン・ジョヴィに共感すべきだと思いつつ、一概にヴァン・モリソンが愚かだとも言い切れない。表現の向きが違うだけで、交通標識のように言葉が扱われている点では変わりないからです。様々な解釈を楽しむのではなく、ある決まった方向へ導くために、シェアしやすい言葉によって特定のルートが作られているわけですね。

「詩人はPTAに出席しない」

 かつて、ボブ・ディラン(79)はこう語りました。 <詩人はPTAに出席しない。詩人は、そうだな、例えば住宅改善事務局の前でピケを張ったりしない> (『インスピレーション』 著ポール・ゾロ 訳丸山京子 アミューズブックス)  ディランの考えに従うならば、いまだ、新型コロナを如実に捉えた詩は誕生していないようです。 <文/音楽批評・石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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