NHK-BSの人気シリーズ『駅ピアノ』、『空港ピアノ』、『街角ピアノ』で、海外と日本の演奏を見比べると、大きな違いがあることに気づきます。それは、“きちんと”弾きたがる日本と、大雑把な海外。

「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」(NHK 番組サイトより)
譜面を持ち込み、
さあ練習の成果を披露するぞと意気込む手合は、きまって日本でのこと。弾く人も聞く人も、それぞれ熱心なのだけど、どちらも一方通行で終わってしまいがちです。
その点、海外は、ふらっと立ち寄って、ところどころミスをしながらも、思い思いのテンポや解釈で弾いていく。見ず知らずの人たちを巻き込んで大合唱になるのも、よく見られる光景です。
特に、ロンドンのセントパンクラス駅で、アフリカ系の男性が、ダウン症の女の子とベートベンを連弾するシーンは素晴らしかった。演奏が終わり、駅中に響き渡る音でハイタッチを交わす二人。音楽が社交の一環として機能していることを、うらやましく感じました。
もちろん、どちらが正しいというつもりもありませんが、どこか日本人の演奏には、
お稽古ごとの発表会的な、しみったれた雰囲気が漂ってしまうことは否めません。せっかくのストリートピアノが、褒められたい人たちの集会場みたいになってしまっている。抑えきれない承認欲求が、音楽から爽快感を奪ってしまうわけですね。
思えば、カラオケ全盛期に高いキーや難しい符割の曲を競って歌った国民性です。ストリートピアノも同様の傾向になってしまうのは、致し方ないことなのかもしれませんが…。