
本作の目玉は、やはり永野芽郁が主演を務めていること。彼女が演じるのは、親友を「ダチ」と呼び、ブラック企業に勤めつつはっきりと上司に文句も言ったりする、なかなかガラが悪い人物だ。
彼女は親友を虐待していた父親からその遺骨を強奪し、そして「感情のまま泣き叫んだりする」かなりの激情家でもある。これまでの永野芽郁のイメージとも異なるが、逆に言えばこれまでの可憐だったり真面目な印象があるからこそ、今回の感情を顕にする様が際立って美しく、そして愛おしく思えるのではないだろうか。永野芽郁がタバコをくわえたりもする、不良性のある役にも合うという意外性そのもの、新しい彼女の魅力を知りたいという人も必見だ。
また、亡くなった親友を演じる奈緒も、『君は永遠にそいつらより若い』(2021)の変人な女子大生に通じていながらも、それよりもさらに痛ましい、タイトルさながらの「壊れてしまっている」女性を見事に演じていた。口が悪いが根は優しい女性と、彼女が心の拠り所になっている危うい親友という関係性も、とても切なく、またかけがえのないものとして映るだろう。

タナダユキ監督は、『マイ・ブロークン・マリコ』の原作を読み終えてすぐにプロデューサーに「映画化したい」と電話で頼み込んだという。そして、出来上がった映画は、基本的には原作漫画に忠実でありながら、驚くほどにタナダユキのこれまでの作家性と一致する内容になっていた。
そのタナダ監督は、脚本家が別の人だったとしても、ほぼ一貫して人生における「どうにもならなさ」を描いてきた。自分の力ではどうやっても解決できない問題が物語の中心にあり、それをどうにかできなかったとしても、それでもなお残る、願いの尊さや、希望を提示してきたのだ。
それを鑑みれば、タナダ監督が自身の作家性と一致する、しかも「親友の死」という、これ以上ないほどの「どうにもならなさ」を描いた『マイ・ブロークン・マリコ』に惚れ込んだ理由がよくわかるし、だからこそ実際の映画でも原作のエッセンスを余すことなく抽出できたのだろう。することに成功していたのだろう。
そして、タナダ監督は、永野芽郁演じる主人公のシイノと、奈緒演じる親友のマリコの関係性について、「ふたりとも、何の罪もない」「マリコは特に、ひどい環境に置かれたばかりに、周りの人間から『こぞって弱さを押し付けられた』」と語っている。綺麗事では解決できない、その悲しい関係性と、親友の死という事実に、どのように折り合いをつけていくのかを、ぜひ見届けてほしい。原作とタナダ監督が提示した優しさを、前述した窪田正孝が口にする言葉もあいまって、ストレートに感じられるはずだから。