石川慶監督は、『ふがいない僕は空を見た』(2010)の窪田正孝の演技が強烈に頭に残っていたそうで、「狂気を孕んだ危うさみたいなものをやらせたら抜群」「抽象的な話を受け止めて、それを芝居として形にしている、非常に力を持った役者さん」という印象を持ったという(プレス資料より)。それらの言葉は、今回の『ある男』の役にも一致する。
これまでも、窪田正孝は哀愁が漂っていたり、心の闇や危うさを抱えたキャラクターにこの上なくマッチしていた。そして、今回はこれまでのどの役よりも「絶望」「狂気」を全身全霊で表現するような、もはや「別次元」の領域にまで達していた。さらには、映画序盤で見せる「優しさ」「親しみやすさ」「かわいらしさ」も持ち合わせていたからこそ、窪田正孝という役者の「集大成」だと思えたのだ。

この『ある男』は「自分以外の誰かになりたい」という、ある意味では普遍的な願望を描いた寓話(教訓を与える物語)とも言える。窪田正孝演じる謎の男「X」が抱えていた深刻な事情はもちろん、妻夫木聡演じる弁護士は在日韓国人三世であり人種差別的な言動に敏感になっていたりもするのだから。
そうした例に限らず、現状の自分にコンプレックスを持ってしまい、他の誰かの境遇をうらやましく思う、いや「その人になってみたい」というのは、やはり大なり小なり誰もが一度は思ってしまうことだろう。その願望に対し、一元化した答えを出さず、人それぞれが主体的に考えられる「宿題」を持ち帰ることができるのも、本作の意義だ。
<文/ヒナタカ>
ヒナタカ
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:
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