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“ずっと全裸”の山下智久を多方向から観察できる『今際の国のアリス』シーズン2から目が離せない

さまざまなアングルから観察するうちに

 コンテナに囲まれた広場の中央に仁王像のごとく直立不動のキューマ。カメラがまず捉えるのが、もちろんその特徴的な胸筋だ。  鍛えられた二の腕の付け根あたりからこんもりとパンプアップした大胸筋が山から山へ峰を形成している。これぞ山Pの筋肉。カメラが煽りの位置から大胸筋を捉えたかと思えば、次に引きの位置から全身が映される。剣のようなふくらはぎに、引き締まった尻。山Pの美尻!  いやあ、山Pあっぱれ。さまざまなカメラアングルから捉えられることによって、山下の肉体をつぶさに観察できる。そうして次々別アングルからこの裸体を見せられているうちに、目が慣れてくるのか、キューマのヌーディな世界の深遠へすっかり引き込まれてしまっているのだから不思議。

キューマの哲学

 第2話冒頭、キューマは元の世界ではバンドリーダーだったことがわかる。英国風アンダーグラウンド系の趣き(実際劇中でキューマが歌うのは英国のロックバンドの曲)を持つ彼のバンドがライブをする場面が描かれた。  ではバンドリーダーだった彼がなぜ今際の国でキングとなってゲームを作る側になったのか。キューマは言う。これは国民と国民による「真剣勝負」だと。お互いの持ち点を奪い合う「すうとり」はシンプルなルールだが、その分人間の本来の姿に正直な仕組みになっている。実際ゲーム中のキューマが全裸を貫くのはそのためだ。  ゲーム開始前、アリスはキューマにゲームに勝ったら元の世界に戻れるのか聞く。キューマは明確な答えは与えない。むしろアリスが戻りたいという元の世界が果たして真実の世界だったのか逆に問う。まるで古代ギリシア時代の哲学者のような問答法が展開される。  裸でいることもキューマにとって自然に生きる真実の姿。ヌーディな肉体は理想的な彫刻のよう。まだ未熟なアリスにとってキューマの哲学がこの世界の真実を投げかけようとしているのだ。

神の理想を体現する山下智久

 涙こそ出ないものの、哲学者キューマの全裸体にうっすらと清々しい感動を覚えるのは、山下の肉体自体が真実(理想)を体現しているからだと思う。  キューマが一時退場したあと、アリスチームの一員タッタ(渡辺佑太朗)がキューマのことを「なんかいいやつそう」、「普通の人間に見えた」という台詞がすべてを言い当てている。ゼウスを主神とするギリシア神話の神々は人間の姿をしていて、人間とおなじように喜怒哀楽を持つ。人間はそんな神を身近に感じながら、この世界の真実を探求する。キューマはまさに神のような存在として描かれている。  筆者は以前、『正直不動産』について書いたとき、山下扮する永瀬財地のことを天使だと形容した。天使が今度は神になる。キューマを演じる山下の一連の裸体ショットはサービスショットでもあるのだけれど、神の理想を体現する肉体美を持つ山下智久が素っ裸の単身で画面に登場することはどこまでも感動的で清々しい。 <文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修 俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu
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