歌人があるひとりを想うとき、力強い一首ができあがる。それが多くの読み手の「心にすっと溶け込む歌」だ。73回で工場を立て直すことになった舞に貴司が葉書で送った一首「君が行く 新たな道を 照らすよう 千億の星に 頼んでおいた」は、歌集のために用意された300首のうち、唯一の恋の歌だった。
歌人の俵万智は、この一首を自身のTwitterで絶賛し、恋するその人のために、「頼んでおいた」という距離感が絶妙だと評した。

©豊田悠/SQUARE ENIX・「チェリまほ THE MOVIE」製作委員会
幼なじみから恋人になり、やがて結婚する。第21週97回は、目頭が熱くなった。だって、『チェリまほ THE MOVIE 〜30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい〜』(2022年)以来の、赤楚君が演じる結婚式の場面なのだ。
結婚式のあとの夜、夫婦団らんの中、貴司は言う。「この幸せ、歌の中に閉じ込めよう思っててな」。
短歌(同時に歌人の言葉)が人の心を表現しやすいのだとすると、赤楚は、演じるキャラクターの心を乗せる俳優だ。迫真の演技とか感情過多な演技のスタイルとは全然違う。役と対話を続けた結果として気持ちを自然と乗せられる。短歌を志す若き青年から夫へ。そして父に。これだけの変化を常に水平のとれた演技を保てたなんて。赤楚の演技スタイルは貴司そのもので、まるで“歌人のような俳優”ではないか。
職業柄、貴司は、言葉に心を配る。第22週105回で「言葉がいっぱいあんのはな、自分の気持ちにぴったりくる言葉を見つけるためやで」と言った貴司だったが、プロの歌人でさえ、俗に言うスランプはある。幸せな夫婦生活があり、子どもが生まれ、父親になったとき、彼の心は幸せで満たされる一方で短歌が詠めなくなるのだ。
結果的に何年も詠めず、ついに舞に短歌をやめようかと相談する。貴司の瞳が潤み、いかにも赤楚君らしい苦悩の表情から「ごめん」がこぼれる(第24週121回)。
貴司の言葉で視聴者が一番多く耳にしたのは、おそらく、あの温かな微笑みまじりの「ありがとう」だ。それがこの場面では「ごめん」になる。ありがとうとごめん。シンプルだからこそ、言葉の原点のような響きがある。最終週で巌を訪ねてパリに赴いた貴司は、狭い部屋の中で自分を探した。貴司にとってこの「ありがとう」が探し続けた言葉なら、「ごめん」は赤楚衛二にしか込められない魂だ。
最終話を見終えた今、歌人を祖父にもち、すくなからず短歌の世界を知る筆者は、歌人、夫、父親とさまざまな表情を毎朝見せてくれた赤楚君に最大の感謝を込めてこう言いたい。「貴司君、ありがとう」。
<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修
俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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