
店内にはさまざまなテーブルやイスが置かれていて、おひとり様でも過ごしやすい空間づくりになっています。同時に子ども専用のイスも揃っています
4月26日にスープストックは、「離乳食提供開始の反響を受けまして」というタイトルで、コメントを発表。その主旨は、騒動に対する謝罪を直接的な言葉で返すのではなく、お店の考えや姿勢について穏やかに説明をするものでした。
この表明について一部の人々から強い称賛を得ている構図ができあがっていることは事実でしょう。そしてその称賛には批判ツイートをした人への冷ややかな非難が付随しているように思えてなりませんでした。
うーん、ここにこそ心や愛はあるのでしょうか? 私は正直なところわからなくなってしまいました。
批判ツイート側のことを、“子どもに対する愛がない自分勝手な独身女性”だと決めつけているのだとしたら、一度立ち止まって考える必要があると思います。そして子どもを育てているという理由でだけで、子どもへの理解が深いというのも、もしかしたら大きな過信かもしれません。辛辣ツイートをした人々に“子どもへの愛はゼロ”と決めつけて非難を浴びせまくるのは、安易に思えてなりません。

ある日都内の店舗で注文した「スープとカレーのセット(イートイン)」は、1590円でした。価格は店舗ごとに変わります
今回の騒動で気がついたのは、どちらのスタンスにせよ少なからず不安、非難、不快というネガティブ感情が潜んでいること。そしてこれらのマイナス要素は、“匿名性を伴う言葉”に乗せやすいということなのだと思います。
私たち人間は、言葉を選んで使うことができます。だからこそ感じるのは、愛のある言葉を発したから子ども連れに100%優しいとは限らない。そして、非難を浴びせたから子連れママたちに100%攻撃をしてくるわけでもない。戦わせているのはSNS上を中心とした言葉であり、人の心を取り巻く実態すべてを捉えているわけではないと思いませんか?
ある日私が注文したスープとカレーのセットは、1590円でした。これは決して安いとは言えない価格ですから、食事の時間をなるべく有意義に過ごしたい、周りに邪魔されたくないという気持ちは芽生えて当然。
そしてスープストックでの時間を大切にしたいと願う人々すべてが発信したわけではないということ。実際に発した人の気持ちすべてが言葉になっているわけでもないこと。その実態に気がつけば、不快さは和らぎ、ストレスをためずに炎上を捉えることができるのかもしれません。
言葉は心のすべてを語らない。そして本当に有意義なのは、丁寧に作られたおいしいスープを多くの人が味わえることではないでしょうか。
私はスープストックの関係者ではありませんが、忙しく複雑な時代だからこそ、スープストックのスープを飲んでみる価値は大いにあると思います。
そして誰からの影響も受けずに、自分自身の五感と心で感じてみると、実態がずいぶん違っていることに気がつくはずです。
<文・撮影/食文化研究家 スギアカツキ>