さて、ここで重要になるのが、この演技の微妙な違いである。テンションは同じでも、ほんのわずかに違う。そこが演技も含めた表現全般の奥深さだ。
例えば、音楽の世界では、『ブルース・ピープル』の著者リロイ・ジョーンズの「Changing Same」という言葉が有名である。日本語訳すると、「変わりゆく変わらないもの」となる。主にブラック・ミュージックを指しているが、時代に合わせてサウンドは変化するが、根底の精神性は変わらない。
田中の演技もこうした音楽表現同様に、毎回の作品で役柄は当然違うんだけれど、でもやっぱり変わらない魅力がある。
で、この言葉、ドラマ全体にとってもかなり重要なキーワードになる。虎松が愛したこころは、実は吸血鬼一族なのだが、永遠の若さを持ち、何世紀も同じ姿で生き続ける吸血鬼こそ、「変わりゆく変わらないもの」の最たる存在ではないか。
なるほど、現代に生きる吸血鬼は、時代に合わせて変化しているものか。居酒屋の食事場面で、こころはにんにくだけをよけるが、他の料理は普通に食べている。あれ、吸血鬼は人間の食べ物は食べないはず。
ジム・ジャームッシュ監督による傑作吸血鬼映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)では、汚染された現代人の血を吸えない吸血鬼の危機が描かれたが、どうも令和の吸血鬼はそこまで深刻ではないらしい。
こころが実家に帰ると、ドラキュラマントをまとったいかにも吸血鬼伯爵っぽい父・闇原海造(吉田鋼太郎)がいて、ポテトチップスを食べている。このチップス、どうも赤色がおかしい。適度な血の補給がないと貧血になるようだが、食生活はそこまで人間と変わらない。
海造からは永遠の若さなどの伝説もすべてネット上の噂にすぎず、アンリアルだと語られるが、やはり何よりの好物は、人間の鮮血だろう。これは太古から変わっていないはず。父役に吉田鋼太郎ということは、ここは『おっさんずラブ』の名コンビとして、田中圭の首筋にがぶりとかみついてほしいものだが。