中国系の両親のもと、マレーシアで生まれ育ったミシェル。幼い頃からバレエを習い、一時はバレリーナを目指すもケガで断念したという。バレエ留学していた英ロンドンから帰国後、その美貌でミス・マレーシアに選ばれ、ミス・ワールドに出場。この経験がきっかけとなって、芸能活動を開始することになった。
1984年に腕時計の広告でデビューした後、アクション映画に出演し、俳優としてのキャリアをスタート。バレエで培った身体表現を活かし、激しいカンフーアクションや危険なスタントシーンをこなして注目されるようになった。
女性のアクションスターとして活躍するなか、28歳の時に結婚。お相手は、香港の企業家で映画プロダクションを経営するディクソン・プーン氏。実は彼こそが、ミシェルの芸能界デビューを後押しした人物だった。
結婚後、「家族を持ちたい」という願いをかなえるため、俳優業から距離を置き、家庭生活を優先させたという彼女。けれども、結果的に子供を授かることができず、約4年で結婚生活に終止符を打つことに。最初の結婚について、米女性向けサイト『バッスル』に以前こう語っていた。
「結果的に、私は(子供を)持つことができなかった。正直なところ、10年後にお互いがつらい思いをするのは避けたかった。アジアの家庭では、息子や娘を持つことが望まれている。子供たちは財産だから。(子供を持てないという)現実に気づいたら、それに対処しなければ。思いがけない展開でも、対処しないといけないのよ」
離婚後、俳優業に復帰したミシェル。香港のアクション俳優ジャッキー・チェンとの共演、さらに『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997年)でボンドガールを務めたことで、国際派女優としてその名が知られるように。
2000年には世界で高く評価されたカンフー映画『グリーン・デスティニー』に出演。アクションだけでなく、2005年公開の米文芸映画『SAYURI』で芸者役を熱演し、渡辺謙や桃井かおりといった日本人俳優とともに京都・祇園の花街を描いた作品を盛り上げた。さらに、アジア映画としては異例の大ヒットとなった2018年公開の映画『クレイジー・リッチ!』でも重要な役どころを演じた。
こうみると、順風満帆で来たように見えるが、実際には波乱に満ちていたという。今年3月の米誌『ピープル』とのインタビューでは、「米映画界にはびこるアジア系俳優への偏見に反発し、2年間オファーを引き受けなかった」と告白し、差別的な扱いと闘ってきたことを明かしている。