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――お母さんはどんな方でしたか?
ハミ山:幼い頃は、綺麗で優しくて憧れの母でした。PTA活動を頑張ったり、他のお母さん達との付き合いもこなしていました。父と籍を入れていないことは、周りの人は誰も知らなかったと思います。
ただ、小学生くらいの頃から私に対して気に入らないことがあると外でも構わず怒鳴ったり、力いっぱいつねったりすることがありました。
私自身が母親になった今は「母も大変だったんだな」と思います。父は、母が子育てでつらい思いをしているときは家にいなかったので、すべての問題を自分で解決しなければならなかった。母は自身の母親と仲が良くなかったので誰にも相談できず、追い詰められていったのかもしれません。
――お母さんの暴力や暴言に対して憎しみの気持ちはありましたか?
ハミ山:小学生の頃はありましたが、怒りや憎しみを持ち続けるにはエネルギーが必要なんです。中学生くらいには母との毎日に疲れて日々を送るのに精一杯になってしまって、そんな気力はなくなってしまいました。
――お母さんのハミ山さんへの暴言や折檻について、周りの人が注意してくれたことはありましたか?
ハミ山:小学生のときにかかりつけの眼科の先生が母に対して強い口調で注意してくれたことがありました。検査中、私に対する医師の質問なのに母が全部答えてしまったり、私を叱ったりする様子を見て常軌を逸していると感じたんだと思います。
あと、中学生の私が摂食障害や全身の痛みで食べられなくなって生理が止まって婦人科に行ったとき、お医者さんが「お母さんの関わり方もあると思います」と言って私と母の両方が心療内科にかかることを勧めてくれました。
でも、どちらの場合も母が怒ってその病院に行くのをやめてしまったので、第三者の介入は難しかったと思います。
――どうやって摂食障害を乗り越えたのでしょうか。
ハミ山:摂食障害になったきっかけが中学時代の対人トラブルだったのですが、大学生になって中高生の頃より広い人付き合いができるようになって、自然に治っていきました。ただ、その後もぶり返すことがあるので、食の問題にはずっと悩まされています。
<ハミ山クリニカ 取材・文/都田ミツコ>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。