
木曜劇場『いちばんすきな花』© フジテレビ
年齢も性別も育ってきた環境も、それぞれに全く違う4人が巡り合い、その人生を重ねていくドラマ『いちばんすきな花』。
塾講師の潮ゆくえを演じる多部未華子、出版社勤めの春木椿を演じる松下洸平、美容師の深雪夜々役の今田美桜、コンビニで働きながらイラストレーターとして生計を立てようと夢を追いかけ続ける佐藤紅葉役の神尾楓珠による、クアトロ主演も話題の、それぞれの感情を丁寧にすくう物語である。第5話では、紅葉がフィーチャーされた。
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紅葉によるモノローグ「生まれてから一度も、孤独を感じたことはなかった。周りにはたくさんの友達がいて、みんなで仲が良かった」の始まりから、違和感を覚えた。
第1話で、紅葉は「2人組に縁がなかった」と告白。「誰も好んで自分のことを選ばない。1対1で向き合ってくれる人はいない」と本音を明かしていた。そして、とても印象的だった、4人の子ども時代に始まる1話の幕開けで、紅葉は、1対1で向き合いシーソーで楽し気に遊ぶ2人を見つめ、次は僕の番だと空いたシーソーの片側に座るも、向かいにはもう誰もいないという描写がされていた。
「孤独を感じたことはない」とは、逆説的な言葉だといえる。
だからといって、裏返しとして、常に孤独を感じているというワケではない。紅葉は、孤独を恐れるあまり、端から孤独をシャットアウトしているのではないだろうか。
自分の中に卑しさ、浅ましさを感じて、苦しんできた紅葉
だから大勢の輪に入っていくし、求められたい。でも「目立つやつと一緒にいて」輪に埋もれれば埋もれるほど、「いいように使われて」いるだけの自分を感じて、隣に孤独があることを察知し始める。だから、ひとりぼっちを見つけては、“利用”してきた。裏切られない、傷つけられない確証があるから。孤独にならずに済む。
「いつも1人でいるやつを見つけては、一緒にいてあげた」という言葉も、本当は、自分を裏切らない相手に、一緒にいてもらったのだろう。でも自分は目立つやつらの中に入ることもでき、入れない“ぼっち”とは違うという気持ちもある。あのうなされ様からも、紅葉は自分の行為を、「優しいふり」などという表現では留まらない、卑しさ、浅ましさだと感じて、ずっと悪夢に苦しめられてきたのではないだろうか。
でも誰にだって打算はある。友達になろうとするのにだって、「寂しかったから」も至極まっとうな理由だ。「ぼっちなら、裏切られないと思ったから」という気持ちがあったとして、それが浅ましいことなのだろうか。篠宮(葉山奨之)やゆくえの言う通り、相手が優しさと感じたなら、それは優しさでいい。