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松本人志が“異常な権力”を築くに至った背景。島田紳助引退と「巨大化願望」

島田紳助の引退で増した松本人志の需要

 松本さんが、1人のプレイヤーや、最先端でお笑いを開拓する開拓戦士というポジションじゃなくて、ゲームを俯瞰する王様になり始めた時期というのが、2011年の島田紳助さんの引退の本当に直前なんですよね。  2009年に始まった『IPPONグランプリ』は企画自体松本さんが長年やってきた大喜利の形式だし、松本さんがプレイヤーではなくてチェアマンという形式で座ってますよね。『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)もそのちょっと前(2004年)から始まってますけど、あれも企画は松本さんだし、松本さんがゲームマスターのパーティーにみんなを招待したというポジションで座っています。
島田 紳助  松本 人志『松紳』ワニブックス

島田 紳助  松本 人志『松紳』ワニブックス

 島田紳助さんはゲームメーカーをやっていた人なんですけど、だんだん『ヘキサゴン』(フジテレビ)や『深イイ話』(日本テレビ)など、お涙ちょうだいという“素敵やんモード”に突入していって、ビジネスの人としてどんどん評価されていくようになりました。結果的に不祥事で退場したので、松本さんがお笑いのゲームメーカーとしてのポジションっていうのは2つの意味で空いていたんですよね。  紳助さんが“素敵やんモード”に突入してだんだんお笑いじゃなくなると同時に、物理的にもいなくなってしまったんで、2つの意味でスポーンと空いたところでの松本さんの活動のしやすさは非常にあったと思います。

プレイヤー兼ゲームメイカーとして唯一無二の存在に

 そうして、松本さんに働いてほしい場所がたくさんできていたところから、松本さんが完全に独占状態になっていったという歴史があるわけです。  2009年に『IPPONグランプリ』がスタート。島田紳助さんが作った『M-1グランプリ』がいったん2010年に終了して、2015年に復活したわけですけど、そこで実質審査委員長的なポジションを務めているということは、松本人志さんが言ったことが若手芸人にとってのすべてになるという空間ができ始めたということです。
『キングオブコント』の審査員も2015年以降ずっとやっていくことになるわけですから、コントにせよ漫才にせよ、松本人志の脳を通らないと世に出られないという状況が、若手芸人の中では当たり前になっている。それ以降に芸人を目指した人にとっては、それはもう疑いようのないルールというか、法律みたいになっているということですよね。
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『ドキュメンタル』で企画者として世界へ
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