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人口512人の村に移住した47歳女性。「スーパーもコンビニもない山村」に6年住んでわかった“自身の変化”

「仕事辞めよ」ある日突然、浮かんだ思い

丹波山村坂本

村の中心に流れる丹波川。川辺に座ればせせらぎに心が癒される

 離婚から約1年が経ち、症状も落ち着きつつあったある朝のこと。自転車を漕いで会社に向かう中、ふと「仕事辞めよ」という思いが坂本さんの頭に浮かんできたといいます。 坂本:「このまま会社に勤めれていれば、あと20年ぐらいは働ける。でも自分は本当にそれをやりたいんだろうか、と思ったんです。1年後にも考えが変わらなければ辞めようと決め、実際変わらなかったので、退職を決断しました」  退職後の仕事について考える中で地域おこし協力隊という制度を知り、地方移住への関心が高まったという坂本さん。募集要項に掲げられていた業務内容の自由度が高かったことから、目に留まったのが丹波山村でした。面接では「発酵食品を使った地域おこしをしたい」とアピールし、無事採用へ。18年春、3年間の任期つき隊員として移住を果たします。  移住1年目は、丹波山村産の在来種野菜を使ったピクルス作りに邁進。2年目になると東京・神楽坂のアンテナショップ(現在は閉店)に食品を卸すようになり、その縁で、飲食店を間借り出店したことが、出店に向け背中を押しました。 坂本:「素人だったので、メニューを1から組み立てるのはすごく大変でした。それでもお客さんから『東京は何でもあるけど、普通のご飯を食べられたのは久しぶりだった』と声をかけてもらえて。『そうか、普通のご飯でいいんだったらできるかもしれない』と、その時の経験で自信がついたんです」  そこから本腰を入れて物件探しをスタート。音響用部品工場の跡地を借り、村民の協力も得ながら、約1年かけてペンキ塗りや床磨きなどの補修工事を行いました。村からの補助金には頼らず、会社員時代の貯金も使って、開店までにかけた費用は総額で500万円ほど。  周囲からは「こんなに人が少ないところでやるのか」と驚かれたそうですが、「要はどこを取るかだと思います。私は『発酵食品で地域おこしをしたい』という思いが初めにあったので、他の場所でやることは考えられませんでした」と話します。  こうして2022年春、「オオカミ印の里山ごはん」が正式にオープン。ランチ営業を基本とし、週に2日(金曜・土曜)は夜間の時間帯にも営業を行います。村にかつてスナックなどはありましたが、開店当時、夜間営業を行っているお店は他にありませんでした。  開店から2年以上が経つ今、お客は常連が約3割、新規が約7割。客同士が仲良くなり、店で食卓を囲むこともあるといいます。

結婚、子育て……周囲と自分を比べなくなった

丹波山村坂本

丹波山村の特産品・原木舞茸を片手に

 移住して6年が過ぎ、今では精神状態や考え方も大きく変わりました。 坂本:「周囲の同世代は旦那さんと普通に恋愛して結婚して、30代後半ともなれば家を買っていたり、子育てに忙しかったり。私も同じことがやりたかっただけなのになぜできないのかと、離婚後は人と自分を比べてひがんでばかりいました。丹波山村の人たちはすごく優しくて、普段は気を遣っていても、困っている時は絶対にかけつけてくれるんです。村に来てからは『自分の存在が人に迷惑をかけている』という妄想が解け、自己肯定感を取り戻すことができました」  開店2周年記念のイベントを開けば、頼まれなくても写真集を作って後日持参する客がいるほど、常連からも慕われている坂本さん。本来の明るくポジティブなキャラクターが村内外の人々を惹きつけ、そこからファンの輪が広がっていく――そんな好循環が生まれていることは、小さな村で商売が成り立つ秘訣に直結していると感じました。
松岡瑛理
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部へ。博士課程まで進学したレアな経歴から、高学歴女子の生態に関心がある。Xアカウント:@osomatu_san
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