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42歳で発覚した乳がんがきっかけで夫婦関係にヒビ…治療だけじゃない“大きな不安”とは

“がん友”は「つまらない」と早々に職場復帰

 入院中に出会い、闘病中の心の支えだった“がん友”は抗がん剤治療の初期までは休職していましたが、最初の抗がん剤を打って数週間してから、家にいてもつまらないからと仕事に復帰していました。  わたしは乳がんが分かる前まで家でできる仕事をしていましたが、治療のためにそれさえも辞めてしまっていました。治療中は週に一度行くフラメンコレッスンだけで精いっぱいでした。  ですが、そのがん友は家にいるのがつまらないと言い、抗がん剤を打ちはじめて2か月目で会社に復帰。抗がん剤点滴の日にはなんと朝の出社前に抗がん剤を打ち、そのまま仕事に行っていたようです。確かに病院ではそういう人のために早朝から抗がん剤を受けられるようになっていましたが、本当に使う人がいるとは……がん友のタフさに改めて驚いていました。  彼女は最初から副作用もあまり怖がっていない様子でしたが「副作用でヒールが履けない!」とLINEが来たときは「ていうかヒール履いてたの!?」と思わず突っ込んでしまいました。  わたし自身はもともと足が大きく、若いころに無理して履いたヒールで外反母趾になっていたので、主婦になってからはスニーカーしか履けない足になっていたのに、むくみの副作用に対してのクレームが「ヒールが履けない」だなんて元気がいいなぁと思いました。

そんななか、新たな悩み事が浮上

元気な息子

元気な息子の勉強のことが不安に…

 さらに抗がん剤を打つと、爪の色が悪くなり、黒ずんでしまう副作用もあるのですが、彼女は「気分転換になるから」と、ラインストーンなどを盛ったコテコテの「攻めネイル」をしていました。  ネイルがきれいだと気分が上がるのだとか。いちいち副作用にビビっているわたしとは違い、あっさり状況を受け入れ、カラっと明るいがん友に少し元気をもらいました。  そんなタフながん友をすごいなぁと思いつつも、怖がりのわたしは恐れていたしびれの副作用だけでなく、「むくみ」まで怖くなってしまい、残りの抗がん剤がまた恐怖になってしまうという悪循環に。まったく怖がりの性格って厄介だなと思いながらも、メンタルは低空飛行のまま。  さらに、当時のわたしは引っ越しから始まった夫婦間のトラブルに加え、もうひとつ悩み事が増えてしまっていました。それは息子の進路。息子は当時小学校4年生。3年生の冬にがんが見つかり、それから治療に必死で気にも留めていなかったのですが、のびのびと育てていた小学生の息子が、実は勉強につまずいていることに気づいてしまったのです。  ここからまた、抗がん剤を打ちながら悩みと不安の渦に巻き込まれていきます。 【過去記事】⇒連載「乳がんドタバタ体験記」記事一覧を見る <文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)> 【監修者:沢岻美奈子】 日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している
塩辛いか乃
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako 連載「乳がんドタバタ日記」Kindleで発売中!
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