市原隼人、役者歴25年の“今の心境”は「手探りのような状態」「答えを求めれば求めるほど…」
「いろいろなものが濁ってくるけれど…」
――生徒という形でたくさんの後進の俳優さんも出ているので、先生と生徒、先輩と後輩という似たような関係性で、自ら範を垂れている側面もあるかと思いますが、いかがでしょうか?
市原:何が正解かは分からないです。僕の気持ちとしては、ふがいないことも理不尽なこともたくさんある世界であり、この芝居をやっている25年間の中でも、たくさんいろいろな想いをして来ましたから。
いろいろなものが濁ってくるけれど、それをろ過することはもっと大変なこと。重複しますが、泥水の中に手をつっこみ、なんとしても夢を持ち上げて来るのだという想いを忘れずにと、結局は自分との戦いということなのですが。
この作品でも、甘利田先生はシンプルだけれど、世の中はシンプルじゃないというセリフが出て来るのですが、だからこそシンプルな想いを忘れずにいたいんです。それぞれの部署が集まり、違う会社が集まるなか、それぞれの理念がぶつかり合うものですが、どこかで存在意義というか、みんなが集まってひとつのものを作る存在意義を証明したいんです。
今でも役者という職業にあこがれている
――その夢とはなんでしょう。具体的に聞いてもいいでしょうか?
市原:僕は今でも役者という職業にあこがれているんです。役者になりたいけれど、わからない。自分自身がわからないのですから。そして、映画という業界にあこがれていたいんです。カッコいいじゃないですか。いろいろな技術スタッフがいて、みんな職人でプロで。これだけの職人が集まる世界って、夢だなっと思うんです。
――それはかつてあこがれていた世界を、いつまでも維持したいという願いのようなことでしょうか?
市原:そうです。デビュー作(岩井俊二監督作『リリイ・シュシュのすべて』)の時に思ったんです。監督やカメラマン、照明部、みんなかっこいいなと。みなさんのすごい背中を見て、子どもの頃にそう思いました。毎日スーパー銭湯に行って、ご飯をみんなで食べて、プロデューサーの家に泊りに行ったり、僕の母と監督がメールしていたり、愛にあふれていました。
そういう想いを持ち続けていたいし、みなさんがそういう技術を遺憾なく発揮できる現場、意見を言える現場であってほしいんです。その中で、それぞれの存在意義を大切にしていけたらいいなと。
それぞれがいろいろな技術を持ち寄り、意見を投じれる世界が僕は夢なのかなと思っています。今でも役者というもの、映画や舞台にあこがれていたい。いつまでもそういう世界であってほしいなと思うんです。
<取材・文/トキタタカシ 撮影/塚本桃>
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