池上季実子、65歳。コロナで死の淵をさまよって変化したこと「もう終わってしまうかもしれないと…」
病床では「これで終わってしまうかも……」と思いを巡らせていた
――デビュー50周年を迎え、SNSなどを見ていてもポジティブに日々を過ごされている印象ですが、その原動力はどこから湧いてくるのでしょうか?
池上:自分でも元気な人間だと思っていたので、まさかコロナで倒れて“お花畑”を見ることになるとは思っていなかったわけです。ただそうなると、人間いつ死ぬか分からないから、無駄な時間は嫌だなと思うようになるんです。
それまで以上に好きな人に会い、食べたいものを食べ、大好きな仕事、芝居をいっぱいしたいと思うようになる。単純な理由です。もともとそういう性格でしたけれど、余計にそれが強くなりました。
――2022年にコロナになり生死の境をさまよったと話題になりましたが、病気で落ち込まず、反対にもっと気力が出てきたわけですね。
池上:病院でひとりでいると、だんだん頑なになってくるんですね。テレビでは新しいドラマがたくさん放送されるので、自分はずっと病室にいると置いて行かれた感じになってしまう。長らく芝居をやっていたけれど、これでもう自分は終わってしまうかもしれないと。何のために自分は芝居をやってきたのかと思うんですよね。
ベッドの上で、本当にいろいろと想うわけです。自分の青春時代、遊びたいけれど遊ばなかったですし、子どもできて子どもを育て、母子家庭で頑張ってきたこと。寝る間も惜しんでやってきた仕事だって。
一期一会という言葉の意味が、前よりも深くなった
――人と会うことが難しい、孤独感が増した時期でもありましたね。
池上:仕方がないんですよね。生きている人で回っていく世界だから。でも自分が外に出ていく、仕事をしていたという感覚がないくらい、止まっていた感じがあったんです。そこへ、撮影がコロナで止まっていたこの映画の話が再び来たのですが、「季実子さんどうしますか?」と聞かれたときに、ダムの決壊みたいにバーッ!と感情があふれ出したんです。
知らない間に自分がフタをしていたのか閉じていたのか、その言葉ひとつで「やります!」と決めました。それで治療も進んだような気がするんです。人間は目標があるとアドレナリンが出るもので、わたしの先輩にもいましたよ。現場で胃痙攣を起こしたけれど、本番になったら治っちゃった方が。役者はこういう異常なアドレナリンが出るものなのですが、それに近いと思う。
――もしかすると50年前のデビュー当時より、今のほうが仕事は楽しいのではないでしょうか?
池上:そうかもしれないです(笑)。楽しい感覚は同じですが、何か違うところはある。今「ここにわたしはいる!」みたいな感覚があるかな。あの時わたしが死んでいたら、今ここにはいないんだ、みたいな、そういう想いはあります。
一期一会という言葉の意味が、前よりも深くなったとは思います。もしも2022年に死んでいたら、今こうしてわたしたちも会えていなかったわけですよね。せっかく会ったんだから、これはきっと意味があるって思うようになりました。
――つらい経験も意味があったと受け止められることは大切なんですね。
池上:わたし、こんなにおしゃべりじゃなかったんですよ(笑)。プライベートではしゃべるけれど、取材の人に対してしゃべるタイプじゃなかったんです。でも退院してから、誰とでもしゃべるようになった。しゃべり急いでいるような感じかな(笑)。生きているうちに、これを言っておきたい、あれを伝えておきたいと、すごいしゃべっている気がします。「お願い、わたしの話を聞いておいて!」みたいな感じかな(笑)。
<文/トキタタカシ 撮影/塚本桃>
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