波乱の人生を送ってきた亜希さんですが、強さの源は、福井県での幼少期にあるのかもしれません。父親はかなりファンキーな人だったらしく、小学校3年生の頃に両親が離婚。同書にはこう書かれています。
「父、サブローは本当にいい人ではあったが、賭け事が好きで、仕事も続かずにいた。ちょっと儲かったと思ったら寿司の折詰めをプラリと持って帰ってくる」
両親の離婚後は、風呂なしの県営住宅ぐらしになったそうですが、こうも書いています。
「離婚して兄と三人暮らしになってからの方が、家の中は断然明るくなった。母も前より生き生きしてた。気持ちが楽になったんだと思う」
亜希さんも離婚後、「『清』の字を見るのも嫌だった時期があった」(’24年1月『徹子の部屋』より)のが、少しずつ元夫と交流するようになったそうです。その最初のきっかけは、同書によると義母(清原氏の母)の死だったそうです。
義母の死の連絡を受けて、会いに行くか悩んだけれど、翌日には飛行機に乗っていたと。
亡くなった義母の体をさすりながら、「今までの感謝と、それ以上に清原さんの悪口をたくさん聞いてもらった(笑)」。

19年間作り続けた息子たちのお弁当、最後の日(亜希さんInstagramより)
さらに、野球をやっている次男が「お父さんに野球を教えてほしい」と言い出したことで、元夫と「自然な形で会うようになった」(『徹子の部屋』より)といいます。
同書は、デジタルメディア「幻冬舎plus」での人生相談がきっかけとなって生まれたそうです。そこから印象的な言葉を抽出し、さらに新たな言葉も加えられているとか。
人生には、とても幸せな時期も、絶望のなかでもがく時期もある。人を愛することも憎むこともある。でも後で振り返れば、だいたいプラマイチャラぐらいになる――亜希さんが紡ぎ出す言葉は、読者の心に響くはずです。
<文/溝口ゆかり>