ジャニー氏の才覚優先と言い切った達郎を看板にする意味とは?
旧ジャニーズ事務所における性加害問題は、原発事故と同様に国際的にインパクトを与えた事件です。事実、国連の作業部会が来日して調査をするほどの事態に発展しました。
だとすれば、フジロックとして、そうした深刻な人権侵害を「憶測」と断言し、ごたごた文句を言うやつらには“俺の音楽は不要だ”と言い切った山下達郎というミュージシャンをどのように捉えているのかを厳しく問われても仕方ないのです。

山下達郎『SOFTLY (LP) 』ワーナーミュージック・ジャパン
にもかかわらず、これを単に国内の芸能ゴシップとして処理し、解決済みであるかのように“J-POPのレジェンド”として山下達郎を迎え入れることが、はたして本当にフジロック・フェスティバルの看板にふさわしい行為なのでしょうか?
もっとも、そのような批判や指摘を受けたとしても、それでも山下達郎をうやうやしく迎え入れるというのも、それはそれでひとつのメッセージだとは言えます。
それでも、押さえておくべき点は、達郎氏が明確な人権侵害行為はさておき、喜多川氏の芸能への才覚を優先すると言い切ったところにあります。そのような人物を、イベントの目玉としてPRすることの意味を熟慮したのかどうか。
故ジャニー喜多川氏が事務所所属タレントに行った性加害は、富と権力を持った年長者による問答無用の暴力行為だと言えます。
そして、かつてフジロック・フェスティバルは、原発を推進する権力を横暴であるという明確な意思を表明しました。
2025年のフジロック・フェスティバルは、この単純なロジックがこじれているように映ります。
さて、フジロックファンには、この事態がどう見えているのでしょうか。
現場にいるオーディエンスはそうした歓迎ムードに同調するのか、それとも、達郎氏の一連の言動に対して何らかのメッセージを発するのか。
フジロック・フェスティバルは、図らずも大きな分水嶺に立たされてしまったのだと思います。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4