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元ピスタチオ・小澤が児童福祉職を4年で辞めたワケと“現在の活動”を明かす「子どもが好きな気持ちは変わらない」

4年間働いた放課後等デイサービスを退職した理由

小澤慎一朗さん――仕事で学んだことが、子育てに役立ったことはありますか? 小澤:4歳と1歳の子どもがいるので、勉強になったことはすごく多かったです。特に、大袈裟に褒めることや、子どもの気持ちが崩れたときに一旦1人にして「気持ちが切り替えられたらこっちに来てね」とクールダウンさせながら様子を見ることが大事だと実感しました。 4歳の息子に、クールダウンさせる方法を応用したことがあります。悪いことをしたのに注意しても聞かないときに、別の部屋に連れて行って「1人で考えてごらん」と伝えて様子を伺いました。もちろん、閉じ込めたりせずドアは開けたままです。すると、「僕、叩いちゃったからいけなかったな」と小声でつぶやいていて、しばらくすると僕のところにきて「さっきはごめんなさい」と自分から謝ってきてくれました。「やっぱり効果があるんだ」と驚きましたね。 ――最近、放課後デイサービスを退職したそうですが、なぜだったのでしょうか。 小澤:2024年の11月に4年間働いていた放課後等デイサービスを退職しました。こういった取材や、テレビ出演などが忙しくなってきて、両立が難しくなったのが理由です。シフトを守れないと、職場に迷惑をかけてしまうので。 今は子育てについて発信しながら、月に1回お子さんたちを集めて「ボッチャで遊ぼう」というイベントを開催しています。「ボッチャ」はパラリンピックの正式種目になっていて、障害を持っている人と、健常者の壁を無くしたいときに一番いいスポーツなんです。
パラスポーツ「ボッチャ」イベントの様子

パラスポーツ「ボッチャ」イベントの様子

「障害者」「健常者」の壁を取り払うためには

小澤慎一朗さん――今後はどんな活動をしていきたいですか? 小澤:子育てに関する講演会などをしたいと思っています。あと、一度断念してしまった保育士資格を取るために、お金を貯めて学校に通うのが目標です。僕は自分1人では勉強できないと痛感したので、やらざるを得ない環境に身を置いて、人から教えていただきたいです。 あと、大きなことをいうと「障害者」という言葉の枠にとらわれない世の中にしていきたいです。今はその言葉しかないから使うしかないのですが、「障害者」と「健常者」で分けることに疑問を感じるんです。その壁を取り払うためには、子どもの頃から障害のある人とたくさん関わりを持つことが一番大事なんじゃないでしょうか。だから「ボッチャ」の活動をもっと広めていきたいです。 「コンビ解散して子どもと関わる仕事をすると言ったのに、結局辞めてるじゃん」と感じる方もいらっしゃると思います。でも、僕自身は子どもが好きという気持ちは変わらないので、障害のある子ども達やその親御さんたちのケア、また子育てに関わる活動を続けていきたいですね。 小澤慎一朗さん <取材・文/都田ミツコ 撮影/林紘輝>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
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