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テレ朝アナだった私が40歳で「アナウンサーを辞める」決断をしたワケ。「ミッドライフクライシスだったのかも」

40歳で見えた、もうひとつの山

令和トラベルでのミーティングの様子

令和トラベル入社直後、戸惑いの毎日

 20年以上も前になりますが、私が入社した頃は、女性アナウンサーが30代、40代とキャリアを続けていくには「MCとして看板番組を持つ」か「表舞台から退く」みたいな、どちらかしか道がない。そんな空気がありました。  でも、時代は少しずつ変わっていって、私が40歳を迎えるころには、女性アナウンサーが番組でスパイスになるようなコーナーを持ったり、自分らしいリポートをしたりできる環境が整ってきていて、それで、私も番組の中で「名脇役」を演じていけたらと思ってたんです。  40歳の誕生日。ふと、自分が登ってきた山の頂に立っているような、そんな感覚になりました。目の前の景色が少し開けてきて、「これからは、自分で着地させていく人生になるんだな」と思ったんです。  いわゆる、ミッドライフクライシスのタイミングだったのかもしれません。  そんなことを考えながら、アナウンサーとしての自分らしさを見つけて、もう10年踏ん張っていこうとしていたある日、令和トラベルの代表・篠塚のnoteに出会ったんです。  そのnoteを読んだとき、「私には、もうひとつの人生があるのかもしれない」と思って。「こんな会社で働く、違う道があるかもしれない」と、まさに運命のように感じました。  それから1週間、じっくりと考えましたが、気持ちは変わりませんでした。そして、応募フォームからエントリーし、面接を経て、令和トラベルに入社することになったんです。  40歳で、しかもスタートアップ企業への転職。さらには、まったくの異業種という完全なキャリアチェンジ。  今思い返すと、本当に恐ろしい一歩でした。

飛び込んでみた、その先に見えた景色とは

 あの頃の私は、「キャリアチェンジの怖さ」も「スタートアップの厳しさ」も何も見えず、ただワクワクしていました。  具体的なビジョンがあったわけでもなく、スタートアップ企業がどういう場所なのかも、あまり想像できていなかったと思います。  収入も、アナウンサーと比べるとだいぶ減ることにはなりました。テレビ業界と旅行業界の違いや、スタートアップ企業というものを実感しましたが、そこは40代の強みがあったのかもしれません。ある程度の貯金や投資の知識、そして、家計をトータルで考えられるパートナーもいたので、ワクワクのブレーキになることはありませんでした。  ただ、働きはじめてみると、アナウンサー時代の仕事とのリズムの違いで体調を崩したり、マネジメントスキルがなく、意思決定をすることの難しさに直面したり。  そして何より、自分のスキル不足を痛感し、会社に貢献できている感覚が得られなかったことが、とてもつらく感じました。  今振り返れば、本当に想像力が足りない決断でした。  それでも、あのとき飛び込んでみたからこそ、見えた景色がある。  無謀だったかもしれないけど、あの決断が、私の旅を深く、豊かなものにしてくれた。  今は、心からそう思っています。 <文/大木優紀> 【Voicyで聴く】⇒#01 40歳で局アナをやめて、スタートアップに飛び込んだ
大木優紀
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母
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