“奔放な女”の虚像と名前を捨てた70歳女優—更年期を越えて見つけた“本当の自分”
1970年に主演映画でデビューを飾り、1982年に映画『TATTOO<刺青>あり』をきっかけに知り合った高橋伴明監督と結婚後も、一線で活躍し続けている高橋惠子さん(70歳)。
伴明監督の新作であり、連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配され、49年もの逃亡の末に、2024年1月に死亡した桐島聡をモデルとした、公開中の映画『「桐島です」』では、プロデューサーと出演を兼ねています。
そんな高橋さんは、かつて伴明監督との結婚を機に改名。当時のことを聞きました。また、現在、映像作品に舞台にとパワフルな高橋さんですが、じつは「大変だった」という更年期の時期を振り返り、「ホルモンバランスのせいなんだから。病院に行ってね」とメッセージをくれました。
――『「桐島です」』には、高橋惠子さんのほうから「出たい」と手をあげたと聞きました。
高橋惠子さん(以下、高橋):そうなんです。桐島聡氏が内田洋と偽名を使った約半世紀の逃亡の末、最期に名乗ったというのは、いろんな思いがあったんだろうと。
『「桐島です」』というタイトルを聞いたとき、直感でしかないんですけど、映画として、フィクションが混ざっていたとしても、何か内部に触れられるようなものになるんじゃないか。きっといいものになると思いました。
――とはいえ、指名手配された容疑者を描いた作品と聞くと、女性読者には二の足を踏む人も多いかもしれません。
高橋:私はぜひ女性に観てほしいと思うんです。これは青春映画なので。きっと何か心が動かされると思います。女性と分けるのもなんですけどね、でも、まず主演の毎熊(克哉)さんがステキですし(笑)。
――本作の“桐島”にとって、名前と自分はある意味イコールだったのだと思います。ところで高橋さんは、伴明監督との結婚を機に芸名を改名されましたね。
高橋:自分の意思で変えました。それまでも関根恵子という本名で活動していましたが、結婚したことによって、本名が高橋惠子になりました。そこで、芸名も高橋惠子にしました。いいチャンスだと思って、“本当の自分”に近いところから、もう一度やってみたいと思ったんです。
――本当の自分、ですか?
高橋:関根恵子という名前が、私から離れてどんどん違うイメージで膨れ上がっている気がしていたんです。奔放で恋多き女優。一面から見るとそうかもしれないけれど、それは私のすべてではありません。
そのイメージを抱えながら、結婚生活と芸能生活を両立していくのは難しいと思いました。自分自身が押しつぶされてしまうと。女優としても、もっと本当の自分自身に近いところでの仕事をしようと、改名を機に一切脱ぐのをやめました。名前を変えることで、自分自身でも仕事を切り替えることができました。結構大きな出来事でしたね。
伴明監督の新作であり、連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配され、49年もの逃亡の末に、2024年1月に死亡した桐島聡をモデルとした、公開中の映画『「桐島です」』では、プロデューサーと出演を兼ねています。
そんな高橋さんは、かつて伴明監督との結婚を機に改名。当時のことを聞きました。また、現在、映像作品に舞台にとパワフルな高橋さんですが、じつは「大変だった」という更年期の時期を振り返り、「ホルモンバランスのせいなんだから。病院に行ってね」とメッセージをくれました。
『「桐島です」』はぜひ女性に観てほしい
――『「桐島です」』には、高橋惠子さんのほうから「出たい」と手をあげたと聞きました。
高橋惠子さん(以下、高橋):そうなんです。桐島聡氏が内田洋と偽名を使った約半世紀の逃亡の末、最期に名乗ったというのは、いろんな思いがあったんだろうと。
『「桐島です」』というタイトルを聞いたとき、直感でしかないんですけど、映画として、フィクションが混ざっていたとしても、何か内部に触れられるようなものになるんじゃないか。きっといいものになると思いました。
――とはいえ、指名手配された容疑者を描いた作品と聞くと、女性読者には二の足を踏む人も多いかもしれません。
高橋:私はぜひ女性に観てほしいと思うんです。これは青春映画なので。きっと何か心が動かされると思います。女性と分けるのもなんですけどね、でも、まず主演の毎熊(克哉)さんがステキですし(笑)。
“本当の自分”に近いところから、もう一度やろうと改名
――本当の自分、ですか?
高橋:関根恵子という名前が、私から離れてどんどん違うイメージで膨れ上がっている気がしていたんです。奔放で恋多き女優。一面から見るとそうかもしれないけれど、それは私のすべてではありません。
そのイメージを抱えながら、結婚生活と芸能生活を両立していくのは難しいと思いました。自分自身が押しつぶされてしまうと。女優としても、もっと本当の自分自身に近いところでの仕事をしようと、改名を機に一切脱ぐのをやめました。名前を変えることで、自分自身でも仕事を切り替えることができました。結構大きな出来事でしたね。


