――そんなお話のなか、お伝えしづらいのですが、映画館で観たわけではありませんけれど、私はかなりの数の「日活ロマンポルノ」を観ていまして。
高橋:女性で珍しいですね。

――ロマンポルノは笑える作品も多いですが、高橋さんが関根恵子さん名義で出られた『ラブレター』(1981)は、本当にお美しくて感動ものでした。
高橋:ありがとうございます。あれはショートカットの関根恵子として最後くらいの作品ですね。たしか女性がかなり観てくださったんですよね。
――ただ、当時の現場は『ラブレター』に限らず、おそらくかなりの男性社会だったのではないかと。変化を感じますか?
高橋:全然、違いますね。私が最初に15歳で女優の仕事をはじめたときには、現場のスタッフに女性はほぼいませんでした。ヘアメイクさんも衣装さんも、全部男性。記録係だけが女性でした。
女優の仕事は女にしかできないので、女性がやってましたけど(笑)、本当にそれくらいの感じ。当然、脱ぐシーンでも、記録係以外は男性ばかりです。いまはヘアメイクさんや衣装さんの多くは女性ですし、撮影部や照明部にも女性がたくさんいますね。
――そうですね。
高橋:記者さんもそうです。ひと昔前は、記者さんも女性は本当に少なかったですよ。だから、映画の現場に限らず、社会全体が変わっているのは感じますね。ただ、なんでもかんでも男女を“同じに”というのは、私はまた違う話だと思うんです。だって女性と男性の違いって、実際にあるわけですから。
先輩・加賀まりこからの「更年期ってのは必ず来るから」

――特に女性は年齢の変化でも、心身に大きな負担を感じる時期があります。
高橋:ありますね。男性もあるようですが、女性は特に。私は48歳で閉経しましたので、早くに更年期を経験しました。でもそうなる前に、それこそ『ラブレター』でも共演していた加賀まりこさんから「惠子ちゃん、今から言っておくけどね。更年期ってのは、必ず来るからね」と言われていました。それをずっと覚えていたんですけど、本当に来ました。
――その時期、お仕事は。
高橋:もちろんしていました。ただ、その時期、私は人に会いたくなかったんです。なぜかというと、約束していても、体調が優れないと外に出たくないから。そうすると約束もできない。気持ちがふさぎ込んで憂鬱になって。でもそれってホルモンのせいなんです。
――そこから、どうされました?
高橋:病院に行きました。ホルモン補充の注射を打ってみたりしましたが、子宮筋腫があったので、それを大きくしてしまうということで漢方に切り替えたり。加賀さんに言われていたことで、心の準備ができていたことも大きかったと思います。
それで「これか」と思えたので、家族にも言うようにしました。夫にも子どもにも。「これこれこういうことなので、ちょっと人にも会いたくない気持ちになったりするの」と。

――なるほど。
高橋:そうした中でも仕事は続けていたので、それが結果的にはよかった面があるかもしれません。あまりふさぎ込み過ぎないのと、外との接触もできる状態を保てたから。それが2年間、続きましたね。