
旅行が好きなのに、どこにも行けなかった……。これは京都南座
もしこのまま治らなければ、経済的な意味でも、身体的な意味でも死んでしまう。
何とか在宅でもできる仕事を見つけねば。
アイスノンを金属探知機のごとくあちこちに当てながら、ふと思い出したのは、橋田先生の言葉でした。
2025年5月に行われた橋田賞のパーティーで登壇した折にお話したことなのですけれども、以前先生がCSでやっていた番組に出演したときに、「あなたはいつか書くわよ」と言われました。その時は何をおっしゃっているのかしらと思いましたが、うんうん唸る私の脳裏に、不意にその言葉がよみがえってきたのです。
もともと書くことは大好き。リハーサルや収録でもらうスケジュールの紙裏に、落書きや妄想、作文をひたすら書き連ねていたような子でした。
ブログも10年ほどずっと書き続けていて、渡鬼の時は、ウェブサイトやモバイルページに毎シリーズ、連載を持たせてもらっていました。好き勝手に書いていた記憶が……。

初仕事は「高畑勲展」の取材企画を持ち込みました
そうだ、ライターをやってみたい。とひらめきました。
歌舞伎にはまったり、高校からずっと茶道を続けていたりと日本文化について伝えたい思いがあったので、まずはライターのアルバイトを始めました。短時間勤務なら、薬を飲めばなんとかできたので……。
そこからいろいろあり、結局はまたフリーランスでライターをすることに。今思うと就職するチャンスだったとも思います。ただ、前述したようにじんましんを抱えたままだったので、無謀にもフリーとして漕ぎ出してしまったのです。
アポの取り方や企画書の書き方もよくわかっておらず、先方が逆にご配慮くださった、なんて経験もあります。
漫画、小説から専門書、ダイエット本から投資の本まで、さまざまなブックレビューを書いたり、柴犬カフェに行ったり、『鬼滅の刃』竈門炭治郎の家業・炭焼きの職人さんに取材したり、お坊様に取材するため、ご案内の修行僧さんに置いてかれそうになりながら比叡山をゼーゼー歩いたり、コスメを紹介したり、コンビニスイーツの比較レビューのためにいっぺんに5種類くらいむさぼったり、さまざまな経験をいたしました。
じんましんは徐々に落ち着き、今は疲れたら出る程度におさまっています。
紆余曲折、四苦八苦、五里霧中、七転八倒、そんな感じで何とかやってきて、最近は紙媒体で書かせてもらったり、指名でお仕事いただくようになったり、やっと軌道に乗ってきたかな……という感覚があります。遅い。
女子SPA!でずっと書きたかったエッセイのお声掛けをいただいたことは大きな出来事でしたし、まだ公表にはなっていませんが、別途寄稿の予定も控えております。