“音楽以上、宗教未満”?藤井風が放つ“癒し”と“危うさ”──その歌声に人々が惹きつけられる本当の理由
最新アルバム『Prema』のリリースに合わせ、『徹子の部屋』や『ミュージックステーション』(いずれもテレビ朝日系)などに出演し、これまで以上に積極的にメディアに露出している藤井風。独特な雰囲気と語り口、そして洗練された音楽性とのギャップが大きな関心を集めています。
一方で、『Prema』というアルバムタイトルには、インドの宗教指導者サイババが自らの死後に生まれ変わりとして出現する存在の名前でもあるという指摘があります。そのため、以前から報じられていた彼のサイババへの傾倒が一層鮮明になったと感じる人もいるようです。
藤井風自身はまだ自身の信仰について明言していませんが、<I am god itself>(「Prema」)という歌詞が物語っているように、本作がより宗教色の濃いメッセージを持っていることは明らかです。
このように、藤井風というアーティストには様々な論点があります。音楽ファンから見ると、彼の楽曲やサウンドを徹底的に分析したくなる存在であり、音楽にそれほど詳しくない人でも藤井風の歌声に惹かれる人や、彼のメッセージに救われている人も多くいます。
しかし、逆にその中に危うさを見出す人もいます。あまりにもスムーズなメロディとサウンドを通じて、神や愛、死について語ることで、ある種の陶酔状態が発生するのではないか。そして、サイババの存在を明かさないことで、サブリミナル的に刷り込まれていく危険性を指摘する声にも一理あると言えるでしょう。
日本の社会が無防備に受け入れてしまっていることに対して、過去の教訓が生かされていないと指摘する声もあります。とはいえ、信仰を明言していない分、ファンがそこに自分なりの救いを投影できると言えるのかもしれないのですが。
いずれにせよ、藤井風は“音楽を楽しむ”という娯楽以上の何かを与えている雰囲気があるのも事実です。
では、そのような芸風を持つ藤井風とは、一体どのような存在だと捉えればいいのでしょうか?
まず、藤井風の音楽性について。筆者は「何なんw」という曲で初めて彼を知りました。日本語の方言とソウルミュージックがここまで滑らかにマッチすることに驚きました。その後、「きらり」や「まつり」などのヒットソングを生み出しましたが、個人的には「何なんw」を超える衝撃はありませんでした。
しかし、この「何なんw」も含めて彼のシングル曲を一通り聴いて感じたのは、藤井風の音楽が全体的に非常に整っているということです。抜きん出た才能というよりも、過去の音楽を編集し、再構築し、再生産していく手際が非常に優れている。どの楽曲を聴いても確実に80点以上を取ってくるような良質さです。この点は、Vaundyとも似通っています。
アルバム『Prema』に漂う宗教的メッセージとその波紋
「何なんw」に見る藤井風の音楽的完成度と再構築力
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