
画像:ユニバーサル ミュージック合同会社 プレスリリースより(PRTIMES)
つまり、藤井風には荒削りながら表現したいメロディがあるというよりも、多様な音楽から気持ちの良い要素を抜き出す能力があります。彼が自身のYouTubeチャンネルにアップしているカバー楽曲のリストを見ると、Taylor Swift、Billy Joel、沢田研二、Maroon 5、チェッカーズ、椎名林檎をはじめ、誰もが知っている名曲が中心です。
ここからは特定のこだわりを感じるよりも、「心地良いものであれば何でも受け入れる」というオープンな感覚がうかがえます。
「Prema」は、Maxi Priestの「Close To You」のメロディを80年代のブラックミュージックであるニュー・ジャック・スウィングに乗せたような印象を受けましたし、「花」はSantanaとMichelle Branchの「The Game Of Love」をピアノサウンドに置き換えた雰囲気です。
良い意味では「懐かしい」、どこかで聴いたことがある音楽。しかし、「圧倒的」と言える音楽かどうかは議論の余地があります。誤解を恐れずに言うならば、藤井風は音楽においてオールラウンダーの優等生なのです。

画像:株式会社J-WAVE プレスリリースより(PRTIMES)
では、それにもかかわらず藤井風が音楽シーンにおいて“圧倒的”なアイコンとして位置付けられているのはなぜなのでしょうか?
やはり、それは歌詞によるところが大きいのだと思います。熱心なファンのみならず、批判的なファンも、そこに宗教的なメッセージ、わかりやすく言うならば神を見ている。そして、近年の彼のビジュアルには、その「神」と藤井風を重ね合わせるような演出が施されています。
つまり、歌詞を読むことと、それを歌う藤井風を見るという二つの視覚的要素によって、彼のイメージが実体以上の存在へと格上げされていく構図があるのです。なんだかわからないけれど凄い人なのではないか、という印象を植え付ける上で、言葉が重要な役割を果たしています。
しかしながら、その入口としての音楽は極めてスムーズで、ユニバーサルデザインのように誰の耳にも心地良い。気がついたら感化されている仕組みになっているわけです。
これが、“藤井風現象”を作り出している構造と言えます。
以上の理由から筆者の結論として、藤井風は音楽以上、宗教未満の存在であると言えます。ミュージシャンやソングライターという枠を超え、音楽と言葉を処方箋のように駆使するセラピストなのではないでしょうか。
混迷の時代に現れた必然の存在、といったところでしょう。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4