
画像:株式会社ライオンハート プレスリリースより(PRTIMES)
これは音楽にも通じる部分があります。
たとえば、優里がハードコアパンクやギャングスタラップを歌っているのであれば、このタトゥーに違和感はないでしょう。
しかし、彼が歌うのはフォークロックやポップスを基調としたラブソングや応援歌です。<空にある何かを見つめてたら それは星だって君がおしえてくれた>(『ベテルギウス』)という極甘ロマンチックな歌詞や、<僕らが生きる時間は 決して安いものじゃないから 後悔しない選択を選んで欲しいの>(『ビリミリオン』)という人類を肯定するようなメッセージを訴えています。
サウンドとメロディも安心安全のJ-POP印で、聴く人を不快にさせる要素は一切なく、心地よくさせてくれる曲ばかりです。
ここでも「音楽や歌詞」と「タトゥー」が食い違う現象が起きているわけです。どちらが本当の優里なのかわからないという状況を、彼自身が作り出してしまっているのでしょう。
見た目の好青年が、道徳の教科書に載っているようなメッセージを歌う。その一方で、強烈なコントラストをなすタトゥーがびっしりと彫られている。
タトゥー単体ではなく、ビジュアルや音楽とセットで見たときにマッチしていない状況が、今回の騒動に繋がったのではないでしょうか。彼のタトゥーに寄せられる深刻な心配の声は、それを裏付けているように思えます。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4