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「私たちの耳が悪い」発言に違和感――『格付けチェック』炎上が映した、「すき」と言う感性が正解に負けた瞬間

「好き」と言う感性が正解に負けるとき

 そこで、改めて今回の『格付けチェック』を振り返ると、中学生の演奏には失点や至らない点があり、それゆえに音楽としての完成度に欠けるというあらかじめ設定された“客観性”をもとに、正解が用意されていることがわかります。  確かに、名門音大卒業のプロという肩書きがある理由には、そのような明確な違いがあるという事実もあるでしょう。  しかし、音楽とはそれだけで済ませられるものなのでしょうか? もし、それぞれの正体を知ったうえで、それでもなお中学生の演奏が好きだと感じたとしても、そう感じた自分自身の主観や感性までも正しくないものとして否定されなければならないのでしょうか?  つまり、これはいちバラエティ番組のネット炎上だと軽く扱ってはいけない問題なのです。なぜならば、好き嫌いという、最も素朴でありながら、しかし最も信じるに値する直感を、他者の設定した“客観性”によって覆されることを甘んじて受け入れる精神性を生みかねないからです。

他人の基準で生きる“感性の敗北”

 自分の感じたことを独自の論法で説明する粘り強さを諦めることは、個人が言葉を放棄することを意味します。
0929_格付けチェック①

画像:TVerより

『格付けチェック』では、プロと中学生の演奏を聴き分けられなかったことを、奇しくも「私たちの耳が悪い」と言ったタレントもいたようです。  この「私たちの耳が悪い」という告白そのものが、空虚な客観性の呪縛そのものだと言えるでしょう。いまは、なにかにつけて「エビデンスは?」だとか「それってあなたの感想ですよね?」とか言われる世の中です。そうすることで客観性を尊重して、物事をフェアに考えていると思い込んでいるのかもしれません。  しかし、その際、人々は一体何を封じ込めて、何に見て見ぬふりをしているのでしょうか?  『格付けチェック』で不正解なのは中学生ではありません。客観性という偽りの正義に甘んじて、感性を断念した大人こそが真の敗者なのです。 <文/石黒隆之>
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炎上した『芸能人格付けチェック』混合アンサンブル聴き比べ企画
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