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「今では考えられないような…」44歳・元テレ朝アナが明かす当時の働き方。高市首相の発言から考える“働くの意味”

ライフステージと共に、変化する働くことに関する意味合い

大木優紀さんの仕事風景 私自身も、社会人として20年以上働いてきました。人生の先輩方からすれば「まだまだだよ」と言われるかもしれませんが、それでも振り返ってみると、「働くこと」は決して一定なものではなく、その意味合いは私の中でまるで株価のように大きく上下しながら変動してきたと感じています。  もし「働くこと」をポジティブとネガティブの軸で表すグラフがあるとしたら、その線は、かなり激しく揺れていたはずです。  20代は、テレビ朝日でアナウンサーとして働いていました。入社してからの最初の3年ほどは、とにかく必死で、気づけば時間があっという間に過ぎていくような、完全に仕事中心の生活。  がむしゃらだったけれど、あの数年が、社会人としての土台を作ってくれ、「働くこと」に対する姿勢の素地を作ってくれたような感覚です。  当時はまだ「ワークライフバランス」という言葉も一般的ではありませんでしたが、仕事にやりがいを感じ、没頭できる感覚が常にありました。  けれど、3年ほど経った頃から、状況は少しずつ変わっていきます。  働き方改革の直前で、今では考えられないような長時間労働が続き、朝の番組を週2回担当していた私は、週の半分は夜中に起きて局に入るような生活を送っていました。  生活リズムは完全に崩れ、体力的にも限界を感じるようになり、「働くこと」が楽しいどころか、耐え忍ぶものに近いものになっていた時期もありました。  その時は、自分の生活の中で、仕事が占める割合は相変わらず大きいのに、その“色”がポジティブからネガティブへと傾いていた。そんな時代が、数年続いていたように思います。  さらに30代になり、出産を経て、子育て期に入ると、バランスの取り方はより複雑になりました。  子どもにとって大切な時間だとわかっているからこそ、仕事との配分に悩む一方で、子育てから一時的に離れられる「仕事の時間」が、むしろ自分へのご褒美のように感じられる瞬間もありました。

働くことが「贅沢」に変わる。やりたい仕事と子育てのバランス

 令和トラベルに転職してからは、仕事が自分の「本当にやりたいこと」と直結していたこともあり、再び仕事に没頭するようになりました。  でも、同時に、子育て期としても大切な時期でもある。やりたい気持ちはあるのに、思うように時間を使えない。バランスを取ることに苦労し、働くことがネガティブに感じられる日もあれば、逆に喜びやご褒美のように感じられる日もありました。 「働くこと」の意味は、日々大きく揺れ動いていました。  同じチームで20代のメンバーたちと働くなかで、彼女たちが結果を出すために仕事に没頭し、遅くまで集中して取り組んでいる姿を見ると、「羨ましいな」と、少し嫉妬にも似た感情を抱いたことも正直あります。  同じ目線で同じチームにいるはずなのに、使える時間の量が、どうしても違う。  母である以上、毎日のタイムリミットがあります。東京にいた頃は、16時から17時ごろには子どもたちが帰ってきてしまうので、そこからはもう100%では仕事ができない。  携帯電話が気になって、「ちゃんと習い事まで行ったかな」と気になる。送り迎えが必要ならば、仕事は終了のゴングが鳴ってしまう。  朝から晩まで仕事のことだけを考えられたらどれだけ楽しいだろうか、と思った時期もありました。  そうなると、思い切り働けること自体が、ひとつの“贅沢”に思えてくる。100%で働いて、私よりいい結果が出るのは当たり前だと思うこともありました。  「もっと働くことができたら、もっといいものが作れるのに」  子どもがいる生活は、調整の連続です。夫や母にお願いすることはできても、誰に何を頼むかを判断し、段取りを組む“司令塔”は、結局いつも自分。  思いっきり働くなんて贅沢だなって思うくらい、労働が喜びや快楽に変わる瞬間がありました。
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「働いて」という言葉が投げかけた、私たちへの問い
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