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作家こだまが綴る小説『けんちゃん』の原点「ぼかぁペプシが飲みたいだけなんだ」/けんちゃんのいる世界Vol.1

 障害を抱えた高校生けんちゃんと、彼と出会い振り回される人々を描いた小説『けんちゃん』。著者こだまは、かつて特別支援学校の寄宿舎に非常勤職員として勤務。たくさんの子どもたちと関わった経験を下敷きに小説を書き上げたという。そんな小説『けんちゃん』刊行を記念して、その原点とも言うべき、こだまがブログに綴っていた“けんちゃんエピソード”を公開。全8回。みんなけんちゃんを好きになる――。
『けんちゃん』の舞台である北海道東部の風景。写真/こだま

『けんちゃん』の舞台である北海道東部の風景。写真/こだま

Vol.1 「ぼかぁペプシが飲みたいだけなんだ」

懲りたはずなのに、また子ども相手の仕事を選んでしまった。特別支援学校高等部の寄宿舎指導員。月に何度か夜勤もある。トートバッグに歯ブラシ、洗顔フォーム、眼鏡、爽健美茶や不二家ルックチョコレートなどを詰めていく。不安をかき消すために「これは小旅行である」と脳を錯覚させ、そわそわ、ふわふわしながら静かな夜道を運転して職場に向かう。今夜は部分月蝕だという。駐車場に車を停めて空を見上げた。猫が齧ったように、ほんの一部欠けていた。 心配してもしなくても必ず何かが起きる。だから、それはどうしようもないことなのだと開き直るようにした。寄宿舎に着いて早々、男子棟の二階が何やら騒がしかった。 けんちゃんがドアの陰で「ぼ、ぼかぁ、ペ、ペプシが飲みたいんだよう」と泣いていた。 担当の先生との約束を五日連続で破ったけんちゃんにペプシ禁止令が出たらしい。もう三日もペプシを飲んでいないという。 喉が渇いたと泣き続ける彼に「食堂でお茶を飲もうか」と誘ってみたが、「ペ、ペプシじゃないと、ぼっぼくの喉は!」と、この世の終わりのように大きな声を上げた。こんなにもペプシを渇望する子どもはアメリカ本土にもいないだろう。寄宿舎のロビーには自販機が二台あるけれど、そこにペプシはない。ペプシの自販機は一年前に撤去されたという。その恨みつらみを私はけんちゃんから何遍も聞かされている。 とりあえずペプシから話をそらしたい。 「春休み、おじいちゃんちに行ったの?」 「いっ行くかよ。ペ、ペプシ出してくれよぅ」 「『ワンピース』観た?」 「ペ、ペプシ返してよぉ」 「アイフォン使えるようになった?」 「ぺ、ペプシだよぉ」 「アイフォンで何のゲームやってるの?」 「なっなめこアプリだよぉ!!!」 きたー! なめこアプリを知らない私に、彼はその可愛いらしさを得意げに語り始めた。次第に饒舌になり、「気分が乗ってきた」と言いながらホワイトボードを取り出した。けんちゃんは言葉が追い付かないとき、アイデアが溢れ出るとき、ノートや自前のホワイトボードに一心不乱で書き殴る。 けんちゃんは「テレビ局屋さん」で、明日のテレビ番組表を作成する任務があるという。あまりに唐突な告白だった。私の問い掛けを無視して黙々と番組名を書き込んでいく。 6時14分 おはよう日本 7時01分 嵐にしやがれ 8時01分 お正月とくばん 10時01分 相ぼうスペシャル(ゲスト・先生) 10時30分 バーテンダー 11時01分 嵐ニノのドッキリ(しかけ人・ぼく) 12~17時 なし     17時01分 アッコさんびょうしつから生ちゅうけい 18時01分 テレフォンショッキング(ゲスト・先生たち) 18時30分 8時だよ全員しゅうごう(いかりや長すけさんが死んだ日のコントをやります) 22時01分 ケンにしやがれ(司会・ぼく) 最後とうとう自分の冠番組を持っちゃった。 民放と国営放送の垣根を取っ払った画期的な放送局である。目を休めてもらうために十二時から十七時まで放送を自粛するらしい。実に健康的だ。四月の朝に正月番組を堂々と流す勇気、一般人の大胆な起用、スペシャルと銘打って二十九分でやめる決断力、そして三時間半も続くいかりや長介さんが死んだ日のコント。けんちゃんに思う存分ペプシを飲ませてやりたいなと思った。 ※本稿は、著者こだまが文学フリマ東京(2015年11月23日)で頒布したエッセイ集『塩で揉む』の一遍を、個人の特定に至らないよう加筆・修正したものです。 けんちゃん「けんちゃん」と人々の交流を描いた連作小説『けんちゃん』が扶桑社より好評発売中! ご購入はこちら⇒https://www.amazon.co.jp/dp/4594101798 こだま
こだま
作家。私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作はNetflix・FODでドラマ化されるなど大きな反響を呼んだ。また、エッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞を受賞した。その他著書に『いまだ、おしまいの地』『ずっと、おしまいの地』『縁もゆかりもあったのだ』(太田出版)がある。本作『けんちゃん』が著者初の創作小説となる。
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