オムツをつける、薬を飲ませる、そして通院。人と違い、言葉では意思疎通のできない愛犬達の介護生活は、一筋縄ではいきません。オムツも薬も病院も、愛犬達にとっては嫌なもの。飼い主としては、ありとあらゆる術を試しながら、ケアをするしかないのです。
基本的に、普段食べないもの=薬は本能的に拒否。おやつやごはんに混ぜるなど、なんとか服薬に成功した時のうれしさといったら!愛犬達が健やかにくつろぐ姿を一目見るだけで、疲労も苦労も一気に吹き飛びます。
散歩も、若い頃のように率先して歩く、走る、というのではありません。カートで運んでから、時々降ろして見守りながら歩かせる。道端で寝転がってしまうこともあり、片時も目を離せないのです。それでも一歩一歩、地面をしっかり踏みしめるように歩く、愛犬達に、真希さんは生命の輝きを感じます。
〈まるでよくできた映画のラストシーンみたいに、始まりの場面に戻ってきたかのようだった〉(〈 〉は同書からの引用、以下同)。
生きているって、ただそれだけで素晴らしいのだと、真希さんと同じように、私達の心に沁みてくるワンシーンです。
水を飲む、トイレへ行く…、あたりまえがままならなくなる
聴力や視力など、五感が衰えてしまうと、水を飲むのも大変です。うまく体勢が保てず、水があるのに舐められない、器がそこにあるのに、徘徊してしまう。
そんな状態のグミの頭をそっと押さえ、器に固定するように支えます。飲みにくそうなグミに「ごめんね」と声をかけて。
排泄も、寄る年波にはかなわず粗相を繰り返してしまいます。愛犬達の意思とは無関係だとわかっているので、真希さんもケアに努め、愛犬達の進路に合わせてトイレシートを敷きまくるといった具合。
以前は普通にできたことが、少しずつできなくなっていく。その切なさは、人も動物も同じです。自分よりも小さな存在ではあるけれど、年齢はずっと上。尊厳と誇りを尊重するからこそ、ままならない姿に、いとおしさもつのっていくのでしょう。